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	<title>エジプトを楽しむ総合サイト！LUXOR &#187; エジプト観光地情報</title>
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		<title>エジプト7つの世界遺産</title>
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		<pubDate>Tue, 03 Feb 2015 02:04:31 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[wpmaster]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[エジプト観光地情報]]></category>

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		<description><![CDATA[このページでは、エジプトにある7つの世界遺産をご紹介します。 エジプトを旅行する際は、どれか1つでも良いので訪 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>このページでは、エジプトにある7つの世界遺産をご紹介します。</p>
<p>エジプトを旅行する際は、どれか1つでも良いので訪れてみましょう。<br />
世界遺産だけあって、スケールも大きく感動することは請負です。</p>
<ul>
<li>メンフィスとその墓地遺跡-ギーザからダハシュールまでのピラミッド地帯 -（1979年に登録）</li>
<li>古代都市テーベとその墓地遺跡 -（1979年に登録）</li>
<li>アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群 -（1979年に登録）</li>
<li>カイロ歴史地区 -（1979年に登録）</li>
<li>アブ・メナ -（1979年に登録）</li>
<li>聖カタリナ修道院 -（2002年に登録）</li>
<li>ワディ・アル・ヒタン -（2005年に登録）</li>
</ul>
<h2>メンフィスとその墓地遺跡</h2>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/All_Gizah_Pyramids-e1422803002265.jpg"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/All_Gizah_Pyramids-e1422803002265.jpg" alt="All_Gizah_Pyramids" width="710" height="321" class="alignnone size-full wp-image-920" /></a></p>
<p>カイロ近郊、ナイル川の西部流域のギザ高原にクフ王、カフラー王、メンカウラー王によって造られた3つのピラミッド、そして人間の頭を持ち、ライオンの姿をした架空の彫像であるスフィンクスがこの3つのピラミッドを見守るように鎮座しています。 </p>
<p>ギザはナイル川中流に位置する都市で、首都カイロから南西に20キロメートルほどの距離にあります。</p>
<p>メンフィス周辺のピラミッド地帯は、ギザ、サッカラ、ダハシュールのいずれもが首都カイロからそう遠くない距離にありますので、砂漠地帯だというイメージのわりにアクセスは容易です。</p>
<p>1979年に世界遺産（文化遺産）に登録されました。</p>
<h2>古代都市テーベとその墓地遺跡</h2>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/Luxor07js-e1422801626143.jpg"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/Luxor07js-e1422801626143.jpg" alt="Luxor07(js)" width="710" height="367" class="alignnone size-full wp-image-912" /></a></p>
<p>古代都市テーベは、エジプトの新王国時代に首都として繁栄した都市で、現在のルクソール市とその近郊に位置していました。</p>
<p>この辺りには遺跡が多く、カルナク神殿、ルクソール神殿、カルナック神殿、王家の谷・王妃の谷、ツタンカーメンなどの王墓群、ハトシェプスト女王の葬祭殿などが主だったもので、エジプトでも有数の観光地となっています。</p>
<p>それらの遺跡が認められ、1979年に世界遺産（文化遺産）に登録されました。</p>
<h2>アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群</h2>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/02/Abu_Simbel_Temple_May_30_2007.jpg"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/02/Abu_Simbel_Temple_May_30_2007.jpg" alt="Abu_Simbel_Temple_May_30_2007" width="710" height="400" class="alignnone size-full wp-image-965" /></a></p>
<p>アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群は、エジプト南部のナイル川流域（アスワン県）にある、1979年に世界遺産（文化遺産）に登録された古代エジプト文明の遺跡（アブ・シンベル神殿、フィラエ神殿、カラブシャ神殿など）です。</p>
<p>これらの遺跡は、1960年代にダムの建設計画によってダム湖に水没する危機に直面しました。<br />
そんな危機を救ったのがユネスコ（国連教育科学文化機関）。</p>
<p>壮大な岩窟神殿、アブ・シンベル大神殿が64m上の丘に移設され、イシス神殿がアギルキア島に移築され保護されました（この他にも数多くの遺跡が移築）。</p>
<p>日本でもこれらを移築するドキュメンタリー番組が放映されたのを覚えています。</p>
<h2>カイロ歴史地区</h2>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/02/Kairo_Ibn_Tulun_Moschee_BW_5.jpg"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/02/Kairo_Ibn_Tulun_Moschee_BW_5.jpg" alt="Kairo_Ibn_Tulun_Moschee_BW_5" width="710" height="400" class="alignnone size-full wp-image-967" /></a></p>
<p>1979年に登録された世界遺産（文化遺産）です。登録時は「イスラーム都市カイロ」と言う名称でしたが、2007年に名称が現在の「カイロ歴史地区」に変更されました。</p>
<p>この世界遺産は、カイロの旧市街やオールド・カイロを含むナイル川東岸約8km×4kmの区域を指します。</p>
<p>歴史的建造物としては「モスク」が多くあり、イブン・トゥールン・モスク、アズハル・モスク、ムハンマド・アリー・モスク、スルタン・ハサン・モスクを始め、約300のモスクが密集しています。ムカッタムの丘には、サラディンによって12世紀後半に建造されたシタデルもあります。</p>
<p>7つの世界遺産の中では、最もアクセスし易い位置にあるといえます。</p>
<h2>アブ・メナ</h2>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/02/sfawet.jpg"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/02/sfawet.jpg" alt="sfawet" width="710" height="400" class="alignnone size-full wp-image-976" /></a></p>
<p>アブ・メナは、アレクサンドリアの南西45kmに位置する、エジプト北部にあるエジプト最古のキリスト教都市の遺跡です。20世紀初頭、砂に埋もれた遺跡が発掘され、1979年に世界遺産に登録されました。</p>
<p>遺跡と言っても、もうほとんど残っておらず、大建築物の土台が残っている程度です。<br />
この土台は今でもハッキリと認識することができます。</p>
<p>2001年頃から周辺地域の地下水が上昇し地面が軟弱化、遺跡崩壊の危機に直面しました。<br />
現在では、危機遺産リストに登録されています。</p>
<p>こういった世界遺産はどうにか残していきたいですね。</p>
<h2>聖カタリナ修道院</h2>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/02/st-catherines-monastery-174446_1280-e1422896548480.jpg"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/02/st-catherines-monastery-174446_1280-e1422896548480.jpg" alt="st-catherines-monastery-174446_1280" width="710" height="399" class="alignnone size-full wp-image-971" /></a></p>
<p>聖カタリナ修道院は、シナイ山の麓にある峡谷の河口、シナイ半島に位置する正教会の世界最古の修道院です。2002年に世界遺産として登録されました。</p>
<p>修道院は現在も継続して機能しています。</p>
<p>聖カタリナ修道院には様々な名称があり、聖カテリナ修道院、聖カトリーナ修道院、聖エカテリニ修道院など別の名将で呼ばれることもあります。</p>
<h2>ワディ・アル・ヒタン</h2>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/02/Wadi_Al_Hitan1.jpg"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/02/Wadi_Al_Hitan1.jpg" alt="Wadi_Al_Hitan1" width="710" height="400" class="alignnone size-full wp-image-974" /></a></p>
<p>ワディ・アル・ヒタンは、アディ・エル・ラヤン保護地区のファイユーム地方にある世界遺産（2005年登録）です。</p>
<p>この地域は4000万年前は浅い海だったため、この一体では、クジラの化石をはじめ、さまざまな海洋生物の化石が発見されました。特にクジラの化石は有名で、その化石には前足と退化した後ろ足が確認され、クジラの初期進化について明らかにされました。</p>
<p>上記の実績などから、日本ではこの地帯を「クジラ渓谷」「クジラ谷」と呼んでいます。</p>
<p>このワディ・アル・ヒタンは、その景色も素晴らしく、特に夕暮れ時は一体が夕日に染まりその風景は圧巻の一言です（日本では絶対にお目にかかれません）。観光目的で訪れても楽しめます。</p>
<h2>まとめ</h2>
<p>エジプトにある7つの世界遺産をご紹介しました。</p>
<ul>
<li>メンフィスとその墓地遺跡-ギーザからダハシュールまでのピラミッド地帯 -（1979年に登録）</li>
<li>古代都市テーベとその墓地遺跡 -（1979年に登録）</li>
<li>アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群 -（1979年に登録）</li>
<li>カイロ歴史地区 -（1979年に登録）</li>
<li>アブ・メナ -（1979年に登録）</li>
<li>聖カトリ－ナ修道院地域 -（2002年に登録）</li>
<li>ワディ・アル・ヒタン -（2005年に登録）</li>
</ul>
<p>せっかくエジプトを訪れるのであれば、これら世界遺産のひとつには訪れてみましょう。<br />
世界遺産に登録されるだけあって、どこも感動を与えてくれます。</p>
<p>個人的には、やはりピラミッドがおすすめでしょうか。<br />
エジプトに来てるな～と実感することができます。</p>
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		<title>エジプトに行ったら訪れたい７つの観光名所</title>
		<link>http://xn--pck2a2jc8f.com/egypt-attractions-recommended.html</link>
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		<pubDate>Thu, 29 Jan 2015 09:25:38 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[wpmaster]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[エジプト観光地情報]]></category>

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		<description><![CDATA[ここでは、エジプト旅行をする方にオススメの観光名所を、7つご紹介いたします。 エジプトには、すばらしい観光地が [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>ここでは、エジプト旅行をする方にオススメの観光名所を、7つご紹介いたします。</p>
<p>エジプトには、すばらしい観光地がいくつもあり、本来なら7つだけでは収まりません。<br />
ここでご紹介するのは、あくまで管理人が個人的にオススメするスポットです。</p>
<h2>エジプト考古学博物館（カイロ）</h2>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/The_Egyptian_Museum-e1422801212485.jpg"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/The_Egyptian_Museum-e1422801212485.jpg" alt="The_Egyptian_Museum" width="710" height="346" class="alignnone size-full wp-image-906" /></a></p>
<p>エジプトの首都カイロにある国立の考古学博物館です。<br />
この博物館を訪れれば、エジプトの5000年以上にわたる歴史と文化を学ぶことができます。</p>
<p>実際に行ってみれば分かると思いますが、この博物館はとにかく広いです。<br />
1～2時間程度では到底見て回ることはできません。</p>
<p>また、館内には古代エジプトの至宝がゴロゴロしています。<br />
有名なツタンカーメンの黄金のマスク、アメンエムハト３世のピラミッドのキャップストーン、ウジャトの目のお守り、ラムセス2世像、アケナテン王の像、などなど展示品の数は圧巻です。</p>
<p>歴史好きな方なら、2～3日は楽しめそうな内容です。</p>
<h2>ルクソール神殿（ルクソール）</h2>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/Luxor07js-e1422801626143.jpg"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/Luxor07js-e1422801626143.jpg" alt="Luxor07(js)" width="710" height="367" class="alignnone size-full wp-image-912" /></a></p>
<p>ルクソール神殿は、エジプトのルクソール（サイト名の由来）東岸にある古代エジプト時代（約3300年ほど前）の神殿複合体です。</p>
<p>神殿入口（第1塔門）の前には、ラムセス2世の坐像があり、その手前にはオベリスクが1本立っています。全体的に重量感のある建築物で、カルナック神殿（後述）と比べると一回り小さいですが、迫力はかなりあります。</p>
<p>オベリスクは本来左右2本立っていたそうですが、その内の1本はフランスに贈られ、現在はフランス・パリにあるコンコルド広場に設置されているそうです（個人的に見に行ってみたいです）。</p>
<p>治安のこともありますが、個人的には夜のルクソール神殿がオススメ。<br />
ルクソール神殿がライトアップされ、幻想的で良い雰囲気ですよ。</p>
<h2>カルナック神殿(ルクソール)</h2>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/Karnak_8._Pylon_06-e1422802015605.jpg"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/Karnak_8._Pylon_06-e1422802015605.jpg" alt="Karnak_8._Pylon_06" width="710" height="314" class="alignnone size-full wp-image-917" /></a></p>
<p>カルナック神殿とは、現在のルクソールにある、アメン大神殿、ムト神殿、コンス神殿などの巨大な神殿群のことで、テーベの土地の神様であるアメン神に捧げられたものです。</p>
<p>カルナック神殿が建てられたのは、新王国時代であり、その頃、現在のルクソールには、古代の首都テーベがありました。</p>
<p>カルナック神殿の見所は、入口にある短い参道に「顔は羊、胴体はライオンの40頭ものスフィンクス」が並べられているところや、敷地内に高さ１５メートルと２３メートルの巨大な石柱が１３０本以上もあるところなどです。</p>
<p>と言いますか、神殿自体全てが見所の様なものです。</p>
<p>石柱には、それぞれ細かい彫刻が刻まれて芸術的であるのと同時に、15メートル以上の石柱が立ち並ぶ姿は圧巻の一言です。</p>
<p>また、カルナック神殿に限らずルクソールエリアにある遺跡を、気球に乗って空から堪能できるサービスもあり、エジプトを旅行される方にはオススメのサービスです。</p>
<h2>ギザのピラミッド（ギザ）</h2>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/All_Gizah_Pyramids-e1422803002265.jpg"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/All_Gizah_Pyramids-e1422803002265.jpg" alt="All_Gizah_Pyramids" width="710" height="321" class="alignnone size-full wp-image-920" /></a></p>
<p>ギザのピラミッドとは、三大ピラミッドの一つで、ピラミッド建築の頂点とされる「クフ王のピラミッド」です。エジプトを代表する歴史的建造物の一つにして、世界の七不思議で唯一現存する建造物でもあります。</p>
<p>エジプトといえばピラミッド！特にギザのピラミッドは有名です。<br />
エジプトに訪れるのであれば、一度は訪れてみたいところですね。</p>
<p>アクセスも便利で、カイロからであれば30分程度バスに揺られるだけで、ピラミッドの目の前まで行くことができます。砂漠地帯に経っているイメージ的に郊外にあると思いがちですが、以外と近く観光地としてのアクセスはバツグンです。</p>
<p>ちなみにカメラの持ち込みは不可です。</p>
<p>現在は14世紀に建造されたリンカン大聖堂に負けていますが、建築当時（紀元前2540年頃）は、世界で最も高い建造物であったといわれています。</p>
<h2>スフィンクス（ギザ）</h2>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/Great_Sphinx_of_Giza_-_20080716a-e1422803327708.jpg"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/Great_Sphinx_of_Giza_-_20080716a-e1422803327708.jpg" alt="Great_Sphinx_of_Giza_-_20080716a" width="710" height="349" class="alignnone size-full wp-image-922" /></a></p>
<p>エジプトのスフィンクスは有名ですからご存知の方も多いのではないでしょうか？</p>
<p>このスフィンクスは、ギザのピラミッドのすぐ近くにあり、カイロからバスで30分程度と以外と近いです。ギザのピラミッドと合わせて観光できるところがうれしいですね。</p>
<p>ちなみに、スフィンクスとは、エジプト神話などに登場する、ライオンの身体と人間の顔を持った神聖な存在（怪物）のことで、ネメス（頭巾）を被ったファラオ（王）の顔とライオンの体を持つ神聖な存在とされています。</p>
<h2>アブ・シンベル神殿（アブ・シンベル）</h2>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/Abu_Simbel_Small_temple_2-e1422804980816.jpg"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/Abu_Simbel_Small_temple_2-e1422804980816.jpg" alt="Abu_Simbel_Small_temple_2" width="702" height="349" class="alignnone size-full wp-image-923" /></a></p>
<p>アブ・シンベル神殿は大神殿と小神殿からなる、エジプト南部（スーダンとの国境）にあるヌビア遺跡のひとつ。この神殿を建造したのは新王国時代第19王朝のラムセス2世で、大神殿は太陽神ラーを、小神殿はハトホル女神を祭神としとしています。</p>
<p>大神殿も小神殿も圧巻の一言！<br />
こんな大規模な建造物が遥か昔に建てられたというのに驚きを隠せません。</p>
<p>アクセスも容易で、アブ・シンベル空港から無料の送迎バスが出ていて、10分ほどで到着する近さです。バスの発着も飛行機と連動しているので、スムーズに移動することが可能です。</p>
<p>エジプト旅行の一部に組み込まれてはいかがでしょうか？</p>
<h2>ハーン・ハリーリ・バザール（カイロ）</h2>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/bazaar-441553_1280-e1422844461328.jpg"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/bazaar-441553_1280-e1422844461328.jpg" alt="bazaar-441553_1280" width="710" height="351" class="alignnone size-full wp-image-927" /></a></p>
<p>ハーン・ハリーリ・バザールは、カイロのイスラーム地区にある14世紀から続くエジプトでも有名な市場で、迷路の様に路地が入り組んでおり、市場の大きさ以上に奥深さのある市場です。市場には大きな店舗はほとんどなく、軒幅が３ｍ程度の小さなお店が軒を連ねている感じ。</p>
<p>かつては違っていたのですが、現在のハーン・ハリーリ・バザールは、古代エジプトの神々の置物や、象嵌・金銀細工、雑貨などの民芸品やお土産が主だった取り扱い品となっており、ほぼ100％観光客のための市場となっています（その他にも食料品や家電製品を取り扱うお店もあり）。</p>
<p>観光客のための市場なので、英語だけでなく、かたことの日本語が通じるお店もあるようです。</p>
<p>商品には値札が付いていないことが多く、お店の人との交渉で値段が決まる感じです。<br />
値札が合っても普通に値引き交渉を持ちかけて見ましょう。</p>
<p>この手の市場は、しつこくモノを売りつけられるイメージがありますが、ハーン・ハリーリ・バザールでは、1度断ればしつこい勧誘はほとんどありません。</p>
<p>比較的ゆったりとした気分で買い物をすることができます。</p>
<h2>まとめ</h2>
<p>エジプトに行ったら訪れたい７つの観光名所をご紹介しました。</p>
<ul>
<li>エジプト考古学博物館（カイロ）</li>
<li>ルクソール神殿（ルクソール）</li>
<li>カルナック神殿(ルクソール)</li>
<li>ギザのピラミッド（ギザ）</li>
<li>スフィンクス（ギザ）</li>
<li>アブ・シンベル大神殿（アブ・シンベル）</li>
<li>ハン・ハリーリ・バザール（カイロ）</li>
</ul>
<p>今回は7つしかご紹介できませんでしたが、エジプトにはこの他にも色々な観光地があります。</p>
<p>エジプト旅行に行かれる方は、色々な観光地を調べてぜひ訪れてみてください。<br />
感動しますよ！</p>
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		<title>エジプト観光いろいろ。</title>
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		<pubDate>Tue, 20 Jan 2015 14:44:02 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[wpmaster]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[エジプト観光地情報]]></category>

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		<description><![CDATA[そろそろサマータイムも終わり、エジプトの観光にはもってこいのシーズンになりました。第３回目のエジプトコラムは「 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>そろそろサマータイムも終わり、エジプトの観光にはもってこいのシーズンになりました。第３回目のエジプトコラムは「観光」についてです。</p>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/01.gif"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/01.gif" alt="01" width="250" height="141" class="alignnone size-full wp-image-347" align="right" style="margin-left:10px;" /></a></p>
<p>エジプトの観光と言うとピラミッドにスフィンクス、ツタンカーメンの黄金の仮面やルクソール神殿、アブ・シンベル大神殿などが有名だけれど、他にはどういった観光場所があるのでしょう？</p>
<p>実は、こうした有名どころ以外にもエジプトには数多くの観光場所があります。上の様な、超有名な観光場所以外では、王家の谷やハトシェプスト女王葬祭殿、カイトベイの要塞、アズハルモスクなんかが有名だよ。メジャーな観光場所ということもあって、安心して観光にいけるというのも人気や魅力の一つの理由だったりするのかもね。</p>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/02.gif"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/02.gif" alt="02" width="200" height="283" class="alignnone size-full wp-image-350" style="margin-right:10px; margin-bottom:15px;"/></a></p>
<p>この中でも特にオススメなのは「カイトベイの要塞」。</p>
<p>実は、古代エジプトには直接の関係はないものの、歴史的におもしろい経緯をたどっているので見どころは多いと思うよ。</p>
<p>このカイトベイの要塞のあった場所にはもともとファロスの大灯台という世界でも有数の建築物があったんだ。ファロスの大灯台は古代エジプト最後の王朝であるプトレマイオス朝の頃に建設された灯台で、高さは約130メートルあり、灯台の光はおよそ50kmの彼方から確認できるほどだったといわれている。</p>
<p>この大灯台は、８世紀頃におきた大地震で崩れてしまってなくなったんだけど、灯台の建てられていたファロス島と灯台の土台を使って建設されたのが今見ることのできるカイトベイの要塞というわけなんだ。</p>
<p>歴史や建物の経緯を知っていると観光はもっともっと楽しくなるよね！</p>
<p>ファロスの大灯台に限らず、エジプトには歴史の深い建築物がたくさん。土地柄、昔から様々な文化が合流して完成してきた国だからいろいろな物を感じ取ることができるはず。</p>
<p>いろんなところで、いろんな文化、いろんな歴史を感じてみよう！<br />
次のページからは「もっとエジプト！マイナー観光地」を紹介するよ。</p>
<h2>一度は行ってみたいマイナー観光地</h2>
<p>エジプトのマイナーな観光地は国内の様々な所にある。カイロ市内からルクソール、アスワン方面まで見所がたくさん。ここでは、そんなマイナーだけれど一度は訪れたいような観光地を紹介するよ。</p>
<h3>カイロタワー</h3>
<p>カイロ市内のゲジーラ島に立つカイロのシンボル的建築物。高さは187メートルあって中では展望を楽しんだり、食事をしたりできる。夜になると綺麗にライトアップされるので見物だよ。付近の徒歩圏内にはオペラ・ハウスやエジプト現代美術館などがあるため現代エジプトの芸術と文化を一挙に楽しむことができるのは魅力だね。</p>
<p>ちなみにオペラ・ハウスは1988年に日本政府が提供して作られたんだ。</p>
<h3>アニマル・パレス博物館</h3>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/03.gif"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/03.gif" alt="03" width="240" height="162" class="alignnone size-full wp-image-356" /></a></p>
<p>同じくカイロ市内にある博物館。ムハンマド・アリ朝時代の王子であるムハンマド・アリ・トゥフィクが20世紀の初めになって建造した。現在は博物館として機能しているけれど、本来は宮殿として建てられたため外観から内装まですごく豪華！調度品の一つ一つまで綺麗な細工が施されていて当時の王家の生活をうかがい知るには十分なほどです。</p>
<h3>王妃の谷</h3>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/04.gif"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/04.gif" alt="04" width="245" height="158" class="alignnone size-full wp-image-358" /></a></p>
<p>ルクソール西岸、王家の谷のほぼ南に位置する場所にある王妃の谷。ここはネフェルタリやティティをはじめとして数々の王妃の墓が存在しているよ。</p>
<p>中でも特に注目なのはラムセス２世の最愛の妻、ネフェルタリの墓だね。ネフェルタリはアブ・シンベル大神殿の隣に小神殿を建てられるほどの寵愛を受けていたとされていて、そのお墓もきれいに残されていたんだ。</p>
<p>残念ながら副葬品は盗掘にあってしまって見ることはできないけれど、長年の修復作業によって墓の中に施された壁画は周辺の墓よりも抜きんでて美しく輝いているよ。必見の価値ありっ！</p>
<h3>サヘイル島</h3>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/05.gif"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/05.gif" alt="05" width="220" height="154" class="alignnone size-full wp-image-360" /></a></p>
<p>サヘイル島はアスワンを代表とするヌビア地方にある島だよ。古代エジプトではナイル川の始まりと信じられていたんだ。ここはアヌキス神の住む場所と考えられていて古代ではアヌキス神を祭るための神殿もあったらしいよ。今確認できるのは切り立った岸壁に描かれた岩壁画。大小様々な岸壁に描かれた壁画は王墓などで見られる壁画とはまた一風変わっていて面白いよ。</p>
<p>その他、アスワンハイダムも見どころの一つ。アスワンハイダムによって出来たナセル湖は静かに広がっていてとても心地がいいんだ。完成を記念して建てられた記念塔も必見だよ。面白い形のオブジェでちょっとした時間があったらぜひ寄ってみたいポイント。</p>
<h2>エジプトならでは！自然一杯の観光地</h2>
<p>エジプトの人工的な観光地をいろいろ紹介してきたけれど、もう行ったところはあったかな？<br />
けれどエジプトの観光地は何も遺跡や現代美術、文化だけじゃ終わらないよ。</p>
<p>今回のラストはエジプトの観光「自然」についてみてみよう！</p>
<p>まずは内陸から。</p>
<p>エジプトは知ってのとおりナイル川流域以外はほぼすべてが砂漠という過酷な環境下にあるんだ。けれど、そんな場所だからこそ見られる美しい風景もあるんだよ。</p>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/06.jpg"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/06-300x225.jpg" alt="06" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-367" /></a></p>
<p>の写真はサハラ砂漠に広がっている「白砂漠」と呼ばれるもの。キノコ状の形をしたものはもちろんオブジェじゃなくて長い年月をかけて自然が作り出した芸術品だよ。石灰が雨に解かされたり風で削られたりして出来るらしいんだ。</p>
<p>こうした白砂漠へはバハレイヤオアシスやシーワオアシスなど、砂漠に点々と存在しているオアシスを拠点にして向かう。こうしたところでも趣のあるホテルがあって楽しく旅行できるんだよ。中にはシェフやガイドさんもみんな揃って砂漠に一泊ツアーなんていうのをやっている所もあるみたいだから、向かう時には詳しくチェックしたいね。</p>
<p>大自然の中、本当の暗闇に包まれて星空を見上げるのはきっと気持ちがいいに違いないよ。</p>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/07.jpg"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/07-225x300.jpg" alt="07" width="225" height="300" class="alignnone size-medium wp-image-363"/></a></p>
<p>内陸を離れて東へ行くと紅海にさしかかる。紅海はあまりしられてはいないけれど世界有数のダイビングスポットがあったり、様々な海の生き物を見ることができてとっても人気のあるリゾート地になっているんだ。日本ではハワイやグアム、サイパンなどが近いこともあって人気があるけれど、ヨーロッパの人たちが海外へリゾートとなるとこのあたりに来ることが非常に多いんだって。</p>
<p>紅海沿いのどこかの町では潜水艦に入って海の中を見て回るようなサービスをしている所もあるみたいだから、いろいろ調べて新しいエジプトを見つけてみるのも面白いかもしれないね。遺跡を巡るツアーや内陸の方に向かうツアーなどでは遠くてなかなか足が運びにくいけれど、シナイ山の方に行く場合や最初からリゾート目的で向かう場合にはお勧めのスポットだよ。シャルム・エル・シェイクを中心にして海岸沿いにたくさんの町があるからいろいろめぐってみるのも楽しいかも。</p>
<p>以上今回はエジプトの観光について少しだけだけれどまとめてみたよ。あとは、みんなが直接現地に行っていろいろな物を全身で感じ取ってくれたらうれしいな。エジプトの旅行ベストシーズンは始まったばかり。時間に余裕がある人はエジプトに行くチャンスかも！？</p>
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		<title>エジプトのピラミッド</title>
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		<pubDate>Tue, 20 Jan 2015 10:14:15 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[wpmaster]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[エジプト観光地情報]]></category>

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		<description><![CDATA[エジプトを代表するもののひとつに挙げられるのがピラミッド。古代に建造され、今もその形を残す資格錘状の建造物は、 [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>エジプトを代表するもののひとつに挙げられるのがピラミッド。古代に建造され、今もその形を残す資格錘状の建造物は、今に生きる私たちの心を掴み、その魅力を存分に発揮しているかのようです。</p>
<p>ピラミッドとは、主に古王国時代から中王国時代に作られたものが大半で、有名なギザの三大ピラミッドをはじめ、さまざまな形のピラミッドが存在しています。</p>
<p>しかし、メンカウラー王（ギザの三大ピラミッドのうち最小の物）を契機にピラミッド建築技術や規模は緩やかな廃退を見せ、徐々に歴史の表舞台から去っていきついにはその姿を消してしまいます。</p>
<p>多くの謎を残したまま現在に姿を残しているピラミッド。このページではそんなピラミッドを紹介、解説していきたいと思います。</p>
<h3>ギザの三大ピラミッド</h3>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/pyramid011.jpg"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/pyramid011.jpg" alt="pyramid01" width="200" height="126" class="alignnone size-full wp-image-330" align="left" /></a></p>
<p>有名なギザの三大ピラミッドです。写真では、2基しか移っていませんがこの右側に本来はもうひとつのピラミッドが存在しています。写真は左からクフ王、カフラー王のピラミッドになります。</p>
<p>大きさはクフ王のピラミッドが最大で底辺230m、当初の高さ146mの規模を持っています。しかし、現在は頂上付近が欠損しているため当初の高さを表すための枠組みが設置されています。</p>
<p>手前のカフラー王のピラミッドのほうが大きく見えるのは、カフラー王のピラミッド自体がクフ王よりも高い台地の上に建設されているために、大きく見えてしまいます。そのカフラー王のピラミッドの大きさは底辺215m・当初の高さ143m（現在136m）になります。特徴はピラミッド頂上付近に残る石灰岩の化粧石が残っていることで、完成当時は頂上のみならず、現在階段状になっている部分も、滑らかな石灰岩の化粧石で覆われていたであろうと予想されます。当時はその化粧石が太陽光を反射させて純白に輝いていたのでしょう。</p>
<p>写真に写っていないメンカウラー王のピラミッドはこの2基よりも小さく、底辺108.5mで高さ66.5m程になります。他の2基の半分以下の大きさになります。小さいこともあってあまりツアーなどでは向かうことはないピラミッドで周辺には人も少なく石が散乱としています。ピラミッド下部にはカフラー王のピラミッドのように化粧石が残っています。</p>
<p>クフ、カフラー、メンカウラーの3人のファラオはそれぞれが親子関係にあり3代続いて大ピラミッドを建造したということになります。カフラー王がクフ王のピラミッドの大きさを超えるものを建造しなかったのは父であるクフを尊厳してという説もあります。</p>
<h2>ピラミッドとは</h2>
<p>英[pyramid]。ピラミッドという言葉は本来はギリシャ語で、ピラミッドの形状に似ているパン「ピラミス」が語源だといいます。エジプト現地では「昇る」という意味の言葉「メル」（またはミル、ムルとも）を当てて呼んでいました。jピラミッドというのはエジプトのみに関わらず四角錐状の建築物をピラミッドと定義してある説が一般的だといえます。エジプト以外の地域で言えばメキシコの基壇建築型神殿もピラミッドのひとつといえます。</p>
<p>しかしながら一般的にピラミッドといえば、おそらくエジプトのものを思い浮かべる人が多いのも事実です。それはエジプトのピラミッドは世界的に有名であることがひとつの理由として挙げられますが、大昔のエジプト古王国時代の墳墓群は規模、精巧さともに当時の技術レベルからは秀でて優れているということからも、人々の心を捉え、代名詞的存在になっているのかもしれません。その世界最初のピラミッドといわれているのは古代エジプトのジョセル王の階段ピラミッドで、完成は紀元前2650年くらいともいわれています。その後1000年もの間、数多くのピラミッドが作られ続けました。</p>
<p>ピラミッドの中にはファラオ（王）の棺が納められており、王がなくなった後に収められる墳墓であった。というのは長い間一般的な定説として有名でしたが、実は近年の研究ではその説は間違っていたという見方が有力になってきているようです。そもそも、ピラミッドを王墓だとしたのは古代ギリシャの歴史家ヘロドトスという人物であり、彼の書物「歴史」の中にはピラミッドは奴隷が築いた王の墓。と記述されていたことに起因しています。（ちなみに、「エジプトはナイルの賜物」という有名な言葉もヘロドトスの言葉。）</p>
<p>しかし、ピラミッド自体一人のファラオが何基も作っている事や、未だ内部からミイラが発見されていないことから農閑期に行われる公共事業の一環だったのではないかという説が有力になってきているようです。つまりピラミッドとは単なる王墓ではなく王が天に昇るための階段的役割や、その三角状の外形が太陽光を模していたのではないかというように考えられています。また、ピラミッドはそれ単体で役割を果たしているのではなく、ピラミッド周辺に点在している神殿などとの複合的な建築物だったとされています。</p>
<p>それはつまり、大ピラミッド周辺に点在している小ピラミッドや、葬祭神殿や河岸神殿などと呼ばれている建築物との複合的な大祭事施設だったのではないかという結論に至るようです。また、これらの施設を総称してピラミッドコンプレックスと呼びます。</p>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/pyramid011.jpg"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/pyramid011.jpg" alt="pyramid01" width="200" height="126" class="alignnone size-full wp-image-330" align="left" /></a></p>
<p>左の図はクフ王のピラミッドの周辺の図です。この図で説明すると一番大きなピラミッドがクフ王のもので、そこから東に少し行ったところに小さなピラミッドが３基並んでいます。これらはクフ王の王妃たちの墳墓です。そのさらに東に点在しているのが、当時の貴族たちの墓になります。</p>
<p>図の右上にある四角状の建築物が河岸神殿と言われるもので当時のナイル川はこの河岸神殿付近を流れていたと想定されています。この河岸神殿について明白な利用方法などは現在のところわかってはいませんが、内部は前室と前廊、大広間、それから倉庫の各部から構成されています。そこからピラミッドに向けて伸びているのが参道と呼ばれているもので、参道は通常は屋根がついていて外壁には浮き彫りの施してあるものが通常です。その参道を過ぎてピラミッドに接する部分があります。そこには葬祭神殿と呼ばれる施設があり、その神殿は神を体現していた王を礼拝する場所であったり、間取りが王の生前の宮殿と間取りがほぼ同じ事からも、亡くなった王の永遠の住居として構えられたという意見もあるようです。これらピラミッドコンプレックスが、どのような目的で何を目当てに作られたのかという明白な回答は得られていないので、今もって研究は続けられているようです。</p>
<p>ピラミッド単体の構造は、単に石材を積み上げられたというものではなく基本的にはピラミッド北面に入り口があり玄室へと繋がる通路や、重力軽減の間と呼ばれるような道の仕掛けがあります。また、早稲田大学エジプト調査隊が最新機器を使ってまだ見ぬ謎の空洞を発見するなど、ピラミッドの構造についても未解明の部分が数多く存在しています。</p>
<p>こうしたエジプトの精巧さを誇ったピラミッド建築もクフ王の大ピラミッドを最高峰にして、その後徐々に衰微していきました。規模そのものも小さくなってしまったのですが、それと並行するかのように建築物としての精巧さも劣るようになっていきます。しかし、その頃を境に葬祭殿や神殿の充実が進んでいったこともあり、現在では当時のエジプト人の宗教的な価値観が変わったのではないかと指摘する人もいます。また、ピラミッドを単なる王墓ではないと考えている研究者の中には必要な数のピラミッドを作り上げてしまったから、規模や数などが減少していったという説もあります。ピラミッド自体がナイル川を天の川に見立ててピラミッドは星座をかたどったものだとする説もあり、それが真実なら後者の必要な数のピラミッドを満たしたという説は的を射ているのかもしれません。</p>
<p>ピラミッドの建造に関しては奴隷を利用して建造していたという説が今までは定説になっているようでしたが、当時のエジプトの技術力と国力を考えると、奴隷労働なしでも20年前後でピラミッドの建造は可能だという点と、奴隷を利用していたという決定的な痕跡や証拠がないために、以前から一部の研究者の間では疑問視されていることがありました。近年の調査結果ではピラミッド労働者のための村から、お酒が振舞われていた証拠となる物が見つかったり、怪我を治すための外科治療をしていた痕跡や、当時の出勤簿が見つかるなどしたため、奴隷を利用した建築ではなく、国民が自由な意思の元にピラミッド建築に従事していたものと考えられるということです。おそらくは農閑期に仕事のない国民のために行われた公共事業の一環であっただろうといわれています。</p>
<p>そもそもエジプト社会は古代ローマの社会環境とは違い、農業なども奴隷の手によるものではなくて国民が自由な意思で生産していたことがわかっていますから、奴隷という概念はさほど存在せず国民がピラミッドを建設することで国のために積極的になって働いていたということをうかがい知ることができるのかもしれません。また奴隷の数はごく少数でその従事先は各家庭だったということも判明しています。</p>
<p>当時のエジプトではファラオ＝神と崇められて来ただけに、神のために従事して働くことによって、農閑期を乗り切り生活できるということは、国民にとってはとてもありがたいものだったに違いありませんし、喜ばしいものだったのでしょう。そうした状況の中だからこそ国民は自ら進んでピラミッドの建築に従事したのかもしれませんね。そうした国民の純粋な想いが、今の私たちの心を掴んで話さない本当の理由なのかもしれません。</p>
<h2>ピラミッドの種類</h2>
<p>今、私たちが目にしているような四角錐のピラミッドが突発的に完成されたということではなく、いくつかの段階を経て今の形状となったという説があります。（これに対しては、各々のピラミッドの形状がその形状で完成体だという反論もあります）</p>
<h3>階段ピラミッド</h3>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/kind011.jpg"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/kind011-300x199.jpg" alt="kind01" width="300" height="199" class="alignnone size-medium wp-image-340" /></a><br />
（写真提供：日々想うがままに）</p>
<p><span style="color: #383838;">　エジプト最初のピラミッドは、第3王朝のジェセル王が築いた階段ピラミッドといわれるもので、このピラミッドを企画したのは天才建築家の宰相イムホテプだといわれています。当初は長方形のマスタバとして建設されたものでしたが、後にその上に壇を築いてピラミッドとしました。現在では6段の階段ピラミッドとしてみることができます。</p>
<h3>屈折ピラミッド</h3>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/kind02.jpg"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/kind02-300x225.jpg" alt="kind02" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-342" /></a><br />
（写真提供：遺跡大好き）</p>
<p>屈折ピラミッドというのはピラミッドの頂点へ向かう辺がそれぞれ途中で傾斜角度が変わり、屈折しているピラミッドのことを指します。第4王朝時代に入るとスネフェル王はダハシュールの地に屈折ピラミッドを建設しました。これは建設途中に勾配を変更していて、高さは約101mでした。屈折ピラミッドの形状の理由としては、勾配が急過ぎてピラミッド完成時に崩れる可能性が出てきたためであるとか、屈折していることで下エジプトと上エジプトの統一を象徴している等の諸説があります。</p>
<h3>真正ピラミッド</h3>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/kind03.jpg"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/kind03-300x225.jpg" alt="kind03" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-343" /></a><br />
（写真提供：透視ヒーラーERIKOのワンダフルライフ）</p>
<p>スネフルは屈折ピラミッド完成後に更にダハシュールにおいて、勾配約43度で、側面が二等辺三角形の赤ピラミッドを建造しました。これによっていわゆる真正（しんせい）ピラミッドの外形が完成したことになります。真正ピラミッドとして世界最大のピラミッドは、スネフルの次のクフ王によってギザに築かれたものです。勾配は51度52分。底辺は各辺230m、高さ146mにまで達し、長さと高さの比は黄金比になっています。これはエッフェル塔が登場するまでの間世界で最も高い建築物であり続けました。この他ギザの地には2つの大ピラミッドがあり、総合して三大ピラミッドと呼ばれ、世界有数の観光地になっています。ピラミッドは表面に化粧板が施されていましたが、現在では剥がされてカイロ市街地の舗装に使われてしまいました。</p>
<h3>崩れピラミッド</h3>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/kind04.jpg"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/kind04-300x225.jpg" alt="kind04" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-344" /></a><br />
（写真提供：CG世界遺産　エジプト編）</p>
<p>この他に、現在見られるピラミッドの形としては崩れピラミッドというものが存在しています。これは本来この形で作られたものではなくて、建造後又は建造途中に崩壊してしまい、形が本来の形を維持していないものです。このピラミッドは実際はこの分類には分けられませんが、便宜上このように紹介させていただきました。</p>
<h2>ピラミッドパワーとは</h2>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/power01.jpg"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/power01-300x225.jpg" alt="power01" width="300" height="225" class="alignnone size-medium wp-image-345" /></a><br />
（写真提供：僕の見た秩序）</td>
<p>ピラミッドパワーというのは、ピラミッド型の物体に宿っている不思議な力のことの総称です。</p>
<p>ピラミッドパワーの主な効果としては、腐敗を防ぐ効果だとか、ピラミッド内に入っていると頭の回転がすごく速くなるだとか、植物の成長促進効果や癒し効果があるとか、食品の味が変わるとか諸説ありますが、科学的根拠がないためにどれも立証することは不可能な状況になっています。</p>
<p>ピラミッドパワーの特徴としては、正四角錐であることだとか、方角を南北きちんと合わせていなければいけないだとか、パイプなどで稜線を構成するだけでもその効果は得られるだとか、形状が大きいほどその効果は高いということが言われています。</p>
<p>ですが、結局はどれもきちんとした理由などはないので、ピラミッド自体にそういった不思議な力があるのかどうかはわからないのが現状です。ただし、人が体感するような効果に関してはないとは言い切れません。食品の味が変わっただとか、頭の回転がはやくなるだとかというのは個人差がありますし、プラシーボ効果も含めてそれがピラミッドパワーだということになるのならそういった意味での効果は十分にあるのかもしれません。</p>
<h2>ピラミッドの位置</h2>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/pyramid03.jpg"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/pyramid03-132x300.jpg" alt="pyramid03" width="132" height="300" class="alignnone size-medium wp-image-331"align="left" /></a></p>
<p>左の図はピラミッドの位置関係を表していますが、北はアブロアシュから南はアルラフーンまでとかなり広範囲にわたって建設されていることがわかります。</p>
<p>特徴としては、ピラミッドがすべてナイル川をはさんで西側に建設されていることが目に付きます。古代のエジプトではナイル川の西側は日が沈み、広大な砂漠の広がる死後の世界だと考えられていたことがよくわかります。南北では、ギザ地区の3大ピラミッドをはじめとして、アブシール、サッカラ、ダハシュールと広範囲にわたって多くのピラミッドが建設されています。当時のエジプトの首都はサッカラにありますから、その周辺に建設地を定め王都を死後も永遠に見守ろうという古代ファラオの気持ちがこめられていたのかもしれません。</p>
<p>現在エジプトではピラミッドと思われる遺跡が100数個発掘されており、風化の激しいものから規模の小さいものなど、状態はさまざまです。ここではすべてのピラミッドを表示するのは難しいので大まかなピラミッドを振り分けてみました。</p>
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		<title>エジプトの神殿</title>
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		<pubDate>Tue, 20 Jan 2015 09:52:51 +0000</pubDate>
		<dc:creator><![CDATA[wpmaster]]></dc:creator>
				<category><![CDATA[エジプト観光地情報]]></category>

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		<description><![CDATA[ピラミッドと並ぶほど有名なエジプトの建築物、神殿。建設当時はエジプトの神々を祭るための、信仰の場所として活用さ [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>ピラミッドと並ぶほど有名なエジプトの建築物、神殿。建設当時はエジプトの神々を祭るための、信仰の場所として活用されました。神殿はピラミッド建築の衰微が進むにつれて発展し、ピラミッド付属の河岸神殿、葬祭神殿から大きく姿を変えていきました。</p>
<p>時代が進むにつれてピラミッドの建設量は少なくなり、建設技術も粗悪になっていきました。その反面、神殿建築は大きく発展し、ピラミッドの付属施設ではなく、神殿そのものが重要な役割を担うようになります。有名な神殿は、古都テーベ（エジプト名ワセト）にあるカルナック神殿や、ルクソール神殿。それから、上エジプトにあるアブシンベル大神殿などがあります。</p>
<p>神殿で最も目を引くものは巨大な列柱群であったり、巨大な人物像などです。これらの建築物も建設当時は壮麗な装飾、着色がなされていたといいます。こうした豪華な神殿も、新王朝時代の終わりとともに終焉を迎え、イスラム教文化の進出によって、モスクへと取って代わっていきました。</p>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/shrine01.jpg"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/shrine01.jpg" alt="shrine01" width="200" height="126" class="alignnone size-full wp-image-318" align="left" /></a></p>
<p>右の写真はカルナック神殿の第一塔門手前にある、スフィンクスに囲まれた参道です。カルナック神殿とは、エジプトに現存する神殿の中で最大規模のもので、東西に500m、南北に1500mもの広さを誇っています。施設内部にはアメン神やムト神、コンス神などが祭られている小神殿がはいっていて、これらの神殿を作った数々の王もまた自分の名前を刻んだ小神殿や庭園などが点在しています。これらすべての施設を総合してカルナック神殿と呼びます。<br />
カルナック神殿は、中王国時代にテーベが当時の都になってから約2000年もの間、数々の王たちによって増築を繰り返されてきました。その間、カルナック神殿を中心にしてアメン神信仰が国全土に布令され、王朝の富はこの神殿の増改築に集中されました。</p>
<h2>神殿の所在、位置</h2>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/shrine02.jpg"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/shrine02-300x300.jpg" alt="shrine02" width="300" height="300" class="alignnone size-medium wp-image-320" align="left" /></a></p>
<p>エジプトの神殿は、主に上エジプトに多く存在しています。左図では場所をわかりやすくするために便宜上、下エジプトのギザやアレクサンドリアを表記していますが、地名のみであって遺跡名ではありません。</p>
<p>ナイル川を上流にさかのぼって行くとまず見えてくるのがハトシェプス女王葬祭殿です。ハトシェプス女王葬祭殿は屹立する岩盤を背景にして立てられた3層のテラスからなる壮麗な葬祭殿として有名です。葬祭殿内部には彩色豊かな浮き彫りが施されており、当時の交易の様子などが描かれています。</p>
<p>その周辺にある遺跡はかの有名な建築王ラメセス2世の残した葬祭殿があります。ラメセス2世はこのほか、上流にアブシンベル大神殿と王妃のための小神殿を立てるなど多くの神殿を建設しました。ラメセス2世の建築には巨大な人物像が用いられることが多いのが特徴です。</p>
<p>そして、ラメセス2世葬祭殿のナイル川をはさんで東側には、百門の都といわれたワセト（ギリシャ名テーベ）で有名なルクソールがあります。中でもカルナック神殿は建設後2000年に及ぶ増築、改築を繰り替えし、今ではエジプト最大の神殿となっています。</p>
<p>そこからさらに上流に行くと、フィラエのイシス神殿があります。この神殿の最大の特徴はなんと言っても立地。ナイル川の中に浮かぶフィラエ島というところに神殿が建設されています。このフィラエ島は周辺にあるナイル川の中洲島と違い、緑豊かで昔からナイルの真珠と呼ばれてきました。イシス神殿には神々の様子を描いた浮き彫りが今も美しく残っており、その精巧なつくりには悪漢されるものがあります。</p>
<p>カラブシャ神殿はイシスの神殿の南西に位置する場所に、新王国時代になってから立てられました。カラブシャ神殿ではヌビア地方の太陽神マンドゥリウスを祭っており、マンドゥリウスやイシスにささげものをする王の浮き彫りが色鮮やかに残っています。</p>
<p>そして、もっとも南に位置している神殿がラメセス2世の作ったアブシンベル大神殿です。アブシンベル大神殿は長い間砂の中に埋まり近年になってようやく発掘されて日の下にその姿を現しました。その後、幾多の危機が神殿を襲いますが、1962年から1968年までの期間にユネスコによって、救済を受け、現在の位置に移築されました。</p>
<h2>各神殿解説</h2>
<p>有名な神殿をご紹介します。</p>
<h3>カルナック神殿</h3>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/commentary01.jpg"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/commentary01.jpg" alt="commentary01" width="240" height="180" class="alignnone size-full wp-image-324" align="left" /></a></p>
<p>カルナック神殿は、当時のエジプトの首都ワセト（ギリシャ名テーベ、現在のルクソール）近郊に建設された、現存するエジプト最大の神殿です。</p>
<p>中王朝時代より建設が始まりその後2000年にもわたって延々と増築、改築、改修を続けて規模を拡大してきました。カルナック神殿というのは内部にある3つの要素、アメン神殿区域、ムト神殿区域、コンス神殿区域のすべてを総合した呼び方で、数多くの建築物が複合的に組み合わされて形成されています。</p>
<p>神殿は、牡羊の頭部を持つスフィンクスが両脇に並んでいる参道から始まり、第一塔門を抜けると列柱室とラメセス3世神殿があり、第二塔門を大列柱室があります。さらにおくに足を運んでいくと至聖所やトトメス3世祝祭殿などがあります。また、各地に増築に携わったファラオの名前が刻まれたオベリスクが建てられていて、歴史の重みを感じることができます。</p>
<p>また、この神殿より南西3キロほどに位置するルクソール神殿とは人頭のスフィンクスに囲まれた参道によって繋がっています。</p>
<h3>ルクソール神殿</h3>
<p>ルクソールはカルナック神殿の南西3キロほどの位置にある神殿です。元々はカルナック神殿の中心である形成するアメン神殿の付属神殿として建設されました。アメン神殿とは建設当初、スフィンクスの並ぶ参道で結ばれていたほか、神殿入口にはラムセス2世の坐像と、その手前にオベリスクが1本立っているのが特徴です。オベリスクは建設当初は左右に1本ずつありましたが、向かって右側の1本はフランスに運ばれてしまい、現在エジプトで確認することはできません。</p>
<p>この周辺の地名にもなっているルクソールですが、古代ではワセト（ギリシャ語でテーベ）と呼ばれ、エジプトの首都として栄えていました。ルクソールの語源はエルウクスール（城塞）というところからきていて、昔この当たりには城塞のある軍事的要衝となっていたことが連想されます。</p>
<h3>アブシンベル大神殿/ハトホル神殿</h3>
<p>アブシンベル大神殿は、エジプトでも屈指の建設王ラメセス2世によって建築された巨大な神殿です。位置はスーダンの国境近くのヌビア地方にあります。本来は現在の位置に建設されている神殿ではなく、1962年から1968年にアスワンハイダムの建設によって湖底に沈むところをユネスコによって移築されて、現在の位置に移動しました</p>
<p>内部の大列柱室は、他の神殿の列柱とは違い、高さ9mの直立像が並立しています。また、神殿奥にはプタハ神、アメン・ラー神、ラメセス2世、太陽神ラー・ホルアクティの4つの像が並んでいる部屋があり、春分と秋分の年に二日だけ、入り口から入ってくる朝日は至聖所を一直線に横切って、壁面の4つの像を浮かび上がらせるような仕掛けが施されています。</p>
<p>この神殿の北側にももうひとつの神殿があり、通称アブシンベル小神殿と呼ばれている、ハトホル神殿です。大神殿ほどの特徴はないものの、この神殿ひとつがラメセス2世の王妃のために作られたものだというのですから、スケールの大きさには驚かされてしまいます。</p>
<h3>フィラエのイシス神殿</h3>
<p>ナセル湖に近いナイル川の流域に浮かぶ島、フィラエ島。この島に立てられたのがイシスの神殿です。</p>
<p>アレクサンドロス大王がエジプトを制圧した後に、プトレマイオス朝によって建設されました。イシスは古代エジプトの神、オシリスの妹にして妻という立場で、オシリスが弟のセトに殺された後、イシスはオシリスの遺体を縫い合わせて包帯で巻き、冥界の王として復活させました。このような神々の様子を描いた壁画は、イシス神殿の中に今も色鮮やかに残されています。</p>
<p>また、イシスは古代ローマに受け入れられた唯一の神であるため、ローマの歴代皇帝はフィラエ島にキオスクを立てるなど、神殿の設備増強を図りました。 　その後イシス神殿はアスワンダムが建設されることによって長い期間水没するという状態になり、劣化が進んでしまいました。その状況でさらにアスワンハイダムの建設が決まったので、ユネスコの手により救済され、2年半の歳月をかけて以前のフィラエ島より、現在のフィラエ島（当時のアギルキア島）に移築されました。</p>
<h3>カラブシャ神殿</h3>
<p>この神殿もラメセス2世によって建築されました。ヌビアの太陽神マンドゥリウスが祀られていて至聖所の壁画には神々にささげものをする王の姿が残されています、神殿は「支配者の家」という意味を持っています。</p>
<p>ローマ帝国時代に再建されて、4世紀ごろには至聖所がコプト教の聖堂として利用されるようになります。その後、アスワンハイダムの建築に当たって水没することが決まり、水没前にユネスコによって救済を受け、ナセル湖の西岸に移築されました。移築後の至聖所の屋上からはベトエルワーリ神殿を望むことができます。</p>
<h2>ピラミッド付属の神殿</h2>
<p>ピラミッドに付属されていた神殿というのは、河岸神殿と葬祭神殿の2つということになります。この2つの神殿の持つ意味合いをこれから解説、検証していきたいと思います。</p>
<p>まず始めに、葬祭神殿と、河岸神殿という二つの神殿は参道と呼ばれる道によって繋がれています。ピラミッドの建設にも何かしら関与したとされる見方もありますが、具体的に明快な答えは出ていないようです。</p>
<h3>河岸神殿</h3>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/pyramid01.jpg"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/pyramid01.jpg" alt="pyramid01" width="250" height="162" class="alignnone size-full wp-image-325" /></a><br />
（写真提供：OsirisExpress）</p>
<p>河岸神殿は、ピラミッドより少し離れたところに位置する神殿で、参道によって葬祭神殿と繋がっています。河岸神殿の多くは、現在ナイル川より離れている位置にありますが、建設当時はナイル川のほとりに建設されていたようです。その後何千年の歴史の中でナイル川の流水経路が変化し、現在の位置に落ち着いたようです。</p>
<p>河岸神殿のつくりは運河側に1本以上の斜頚路が設けられていて、内部はほとんどが前廊と大広間、倉庫から構成されています。王が亡くなった際、河岸神殿までは王の遺体はきちんとした処置が施されているわけではなく、河岸神殿に到着した時点で、内臓の除去やミイラ作りが開始されると、長年の間研究者達の間では通説になっているようです。しかし、ミイラ作りが本当に河岸神殿にて行われたという明確な証拠は未だもって発見されていません。</p>
<h3>葬祭神殿</h3>
<p>葬祭神殿は、河岸神殿から参道をとおり訪れることができます。ピラミッドにあまりにも付属したような神殿の建設から見て、別名ピラミッド神殿とも呼ばれています。葬祭神殿は、実際に王の葬儀が行われた場所として使用されたと思われていましたが、部屋が葬儀をするには狭すぎることなどから、今ではなくなった王を追悼するための礼拝場として利用されていたのではないかという考えが主流のようです。</p>
<p>また、葬祭神殿の間取りは、当時の王宮とほぼ同じ構成になっているので亡くなった王の死後の世界での住居とも考えることができます。</p>
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		<title>エジプトのオベリスク</title>
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		<pubDate>Tue, 20 Jan 2015 01:53:42 +0000</pubDate>
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				<category><![CDATA[エジプト観光地情報]]></category>

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		<description><![CDATA[オベリスクは古代エジプト（特に新王国時代）に作られていた石柱です。石柱とは言っても何かを支えていたわけではなく [&#8230;]]]></description>
				<content:encoded><![CDATA[<p>オベリスクは古代エジプト（特に新王国時代）に作られていた石柱です。石柱とは言っても何かを支えていたわけではなく、主には屋外にて記念碑的に建てられていました。</p>
<p>ほとんどのオベリスクは花崗岩でできており、上方に向かうにつれて細くなっていく四角形状の形状をしています。頂上付近はピラミッドのように四角錐状に作られていて、完成当初は金などが施されていました。オベリスクの側面には王の名前や王の功績などが神々への報告として記され、王の威徳を示す象徴とされていました。<br />
　エジプトに当初存在したオベリスクの多くは戦利品として諸外国に持ち出されてしまい、本国エジプトに現存するオベリスクはそう多くはありません。</p>
<p><a href="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/obelisk01.jpg"><img src="http://xn--pck2a2jc8f.com/wp/wp-content/uploads/2015/01/obelisk01.jpg" alt="obelisk01" width="200" height="267" class="alignnone size-full wp-image-274" /></a></p>
<p>写真はカルナック神殿内の、アモン大神殿にあるトトメス1世が建築したオベリスクです。第3塔門と第4塔門の間に建築されていて、本来は2本対になっている状態で建築されていましたが、その後1本は何かの建築物の材料として持ち出されたのか詳細は不明ですが、現在は切り出しのときにこぼれた破片しか残っておらず、オベリスクは片方しか残されていません。</p>
<p>また、このオベリスクは多少傾いて建築されていて、垂直に立っているわけではありません。しかし、オベリスク自体は安定して立っているので、倒れる心配はなさそうです。建築されてからおよそ3世紀半後、ラムセス4世がこのオベリスクの当初の碑文の両側に新たに碑文を書き加え、それから2代後のラムセス6世はラムセス4世の名前を自分のものとして書き換えたそうです。</p>
<p>このオベリスクは高さが約20mで、台座を含めると大体23メートルほどあります。材質は赤色花崗岩で作られており、重さは140tを超えると予想されています。</p>
<h2>オベリスクの解説</h2>
<h3>ラムセス2世オベリスク</h3>
<p>多くのツアー案内や旅行記などでもよく見られる、エジプトに現存するオベリスクでおそらくもっとも有名なオベリスクです。場所はルクソール神殿前、第一塔門の左側にあります。</p>
<p>偉大な建築王ラムセス2世の作ったオベリスクのうちのひとつです。ラムセス2世はエジプト全ファラオの中でもっとも多くのオベリスクを建造したといわれています。現在でも9本確認されています。それぞれが小ぶりなオベリスクですが、このルクソール神殿にあるオベリスクはひときわ大きく、エジプトに現存するオベリスクの中ではハトシェプス女王のオベリスクに次ぐ大きさとなっています。</p>
<p>　オベリスクの台座の2面には4頭ずつのヒヒの像が置いてあります。本来はもう一本ルクソール神殿向かって右側にもオベリスクが存在していたのですが、現在はなくなってしまっています。</p>
<h3>セティ2世オベリスク</h3>
<p>　セティ2世はラムセス2世の孫に当たる人物です。このオベリスクは他のオベリスクと比べると小さめで、高さは約7mほどです。カルナック　アモン大神殿の参道の手前に建設されています。当初は2つ対になって設置されていましたが、現在は1本が失われています。</p>
<h3>トトメス1世オベリスク</h3>
<p>オベリスクのトップページでも紹介したトトメス1世のオベリスクです。カルナックのアモン大神殿第3塔門と第4塔門の間に建造されたこのオベリスクは本来は2本で1対のオベリスクでしたが、現在は1本しか残っていません。</p>
<p>オベリスクの頂上。四角錐状の部分はエレクトラムという物質でできていて、光を反射し、輝くように設計されていましたが、現在ではそのエレクトラムは失われてしまっています。</p>
<p>現在では、このオベリスク自体は傾いてしまっていて垂直な状態を保ってはいませんが、安定して立っているので倒れることはまずなさそうです。無くなったもう一本のオベリスクに関しては、台座が建設されていた場所に残っていることから、他の建築物に利用するために切り取られたものだと考えられています。</p>
<h3>ハトシェプス女王オベリスク</h3>
<p>エジプト初代女王のハトシェプス女王が立てたオベリスクです。このオベリスクはエジプトに現存するオベリスクの中でもっとも高い物となっています。ハトシェプス女王は非常に治世の行き届いた女王で、当時のエジプトでは戦争などが相次いでいましたが、ハトシェプス女王が政治を収めていた時代は戦争がひとつもなかったといわれているほどです。</p>
<p>また、そういった己の業績を神々に報告する方法としてオベリスクを4本立てました。それが、このハトシェプス女王のオベリスクになりますが、現在は4本のうち2本しか残っておらず、またそのうちの1本も倒れてしまっています。このオベリスクはカルナックのアモン大神殿第4塔門と第5塔門の間に位置していて、カルナックの観光で見ることができます。倒れているもう一本もすぐ側においてあるので確認することが可能です。</p>
<h3>ヘリオポリスオベリスク</h3>
<p>現存する屋外に立っているオベリスクのうち、最古に建造されたオベリスクで、カイロ郊外のヘリオポリスと呼ばれる場所にあります。この周辺は公園として整備され、有料ですが中に入ることができます。</p>
<p>このオベリスクを建築したセンウセルト1世は、先王であるアメネムヘト1世の建造した神殿の前に2本の対になるオベリスクを建造しました。現在ではそのオベリスクの片方と神殿は跡形もなく消えてしまっていますが、おそらく1158年前後までは2本とも健在で、その後地元住民によって切り倒されたといわれています。。当初はこのオベリスクは王位更新の際に行われるセド祭に際して作られました。</p>
<h3>カイロ空港オベリスク</h3>
<p>建築王ラムセス2世によって建造されました。現在のサンエルガハルという村でこのオベリスクは発見され、その後カイロ空港まで移築されました。今では観光客を出迎えるエジプトの名物となっています。</p>
<p>このオベリスクにはラムセス2世の栄光や、戦績などが記されていて、ラムセス2世の業績を神々に報告するために建造されたのだろうと考えられています。高さは約17mとなっています。</p>
<h3>ゲジーラ島オベリスク</h3>
<p>このオベリスクもラムセス2世によって建築されました。もともとはサンエルガハルにあったもので、現在カイロ空港に移築されたオベリスクとともに発見されたものです。現在はカイロタワーの近くにあり、カイロの中心部分的位置に移築されていますがあまり観光客などに見られることもなく、ひっそりとしています。高さは約13mほどですから、同時期に同じ場所で見つかり、同じ王によって立てられたカイロ空港のオベリスクとは一対の関係にあるオベリスクなのかどうかは未だ明確には解明されていません。</p>
<h2>世界のオベリスク</h2>
<p>世界中に現存しているオベリスクは合計で30本だといわれています。そのうちにオベリスク発祥の地、エジプトには7本しか残っていません。古代ローマ帝国がエジプトを支配下に収めたとき、エジプトから50本ものオベリスクを本国ローマに持ち帰ったと伝えられていますがその殆どが現在発見されていない状態で、ローマには13本のオベリスクが残されているのみです。そのほかの10本のオベリスクに関しては、イタリア各地、トルコ、イスラエル、フランス、アメリカ、イギリスなどに点在しています。</p>
<p>もっともオベリスクの多い町はイタリアのローマで13本ものオベリスクが存在しています。ローマではオベリスクは広場や公園に主に立てられており、街中の様々なところで確認することができます。イタリアに限らずエジプトから持ち出された（もしくは寄贈された）オベリスクはその圧倒的な大きさからすべてが屋外に移築されています。</p>
<p>そのオベリスクを一覧するとエジプト国外のオベリスクは下記のようになります。</p>
<p>イタリア	ローマ	サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ広場<br />
イタリア	ローマ	バチカン市国，サンピエトロ広場<br />
イタリア	ローマ	ポポロ広場<br />
イタリア	ローマ	モンテチトリオ広場<br />
イタリア	ローマ	ナヴォーナ広場<br />
イタリア	ローマ	エスクイリーノ広場<br />
イタリア	ローマ	クイリナーレ広場<br />
イタリア	ローマ	スペイン階段の上<br />
イタリア	ローマ	ピンチョの丘公園内<br />
イタリア	ローマ	ローマ国立博物館の南庭<br />
イタリア	ローマ	ロトンダ広場<br />
イタリア	ローマ	ミネルバ広場<br />
イタリア	ローマ	ビラ・チェリモンターナ<br />
イタリア	ウルビーノ	リナッシメント広場<br />
イタリア	フィレンツェ	ピッティ宮殿跡<br />
イタリア	カターニア	ドゥオーモ広場<br />
トルコ	イスタンブール	ヒッポドローム跡地<br />
イスラエル	カイザリア	ヒッポドローム<br />
フランス	パリ	コンコルド広場<br />
フランス	アルル	レプブリック広場<br />
イギリス	ロンドン	ビクトリアエンバンクメント<br />
イギリス	ウインボーン	キングストンレーシー・ハウス＆パーク<br />
アメリカ	ニューヨーク	セントラルパーク</p>
<p>上記の23個がエジプトから持ち出され、現在も海外で見ることのできるオベリスクになります。もしもオベリスクを見るための旅行に出る方の参考になれば幸いです。</p>
<p>海外に現存するこれらのオベリスクの中でもっとも大きいものはローマのラテラノ広場にあるオベリスクで高さが約32mにもなります。このオベリスクはエジプトのトトメス3世によって作られたもので、もともとはエジプトのカルナック神殿にありました。それが、ローマ帝国の皇帝、コンスタンティヌス1世によって運び出され、現在のローマの位置まで移築されたようです。</p>
<p>このほかにも世界各地には様々なオベリスク状のモニュメント等がありますが、あくまでこのページではエジプトで製造、持ち出されたオベリスクの紹介にとどめておきたいと思います。</p>
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