エジプトとアクセサリー

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古くから文明の栄えていたエジプト人はオシャレにも敏感で、ファッションセンスは抜群だったと考えられています。現代でも、古代エジプトのデザインは人気が高く、セレブの間でも人気が上昇しているほどです。

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(写真提供:高砂香料工業株式会社)

古代エジプト人は装飾品を好んで身に着けていたと考えられていて、どんなに貧しい身分の人でも金細工を少なからずひとつは持っていたと言われています。左の写真のように金細工のアクセサリーを日常のように男性も女性も身に着けていました。そしてそれは神々とて例外ではありませんでした。

肘より上につける腕輪や、足にはめる足輪、首周りの重たいネックレスは等ももちろんのこと、蛇の形の洒落たイヤリング等も装備して公式行事などに登場してくる姿は、他の海外の神話や神々の様子とは一見変わった、特別な世界観を形成しています。

その中には単なるオシャレにとどまらない変わり者もいたようで、たとえばアンケト女神などは頭の上に羽飾りをつけているなど、必要以上に目立つ格好をしていたりもします。一見すると、サンバカーニバルか何かの衣装のようにも取れるほどの奇抜な服装となっています。それはもちろんその神々の「属性」をあらわす持物なので、その奇抜な衣装がおかしいというものではなく、そういった自己アピールのひとつとしても、アクセサリーや身につける装飾品にはエジプトでは特別意味のあるものだと考えられていたようです。

権威ある神々は王冠や頭上に太陽などを形成していますし、自らが保護する人間たちに与える護符を抱えている神々もいます。奇抜に見えるアンケトの格好も、実はアンケト女神の属性や出生を現していると考えられています。それは、アンケトはもともと上エジプト発祥のアフリカ内部の神様であることから、そのアフリカ独特の雰囲気が伝わった女神とも考えられるために、頭上に羽がついたような姿で現されているのかもしれません。神々がよく巻いているヘアバンドについても、よく見るとその神によってこだわりのようなものが見受けられる場合もあります。

しかし伝統的なオールドスタイルの神々は、やがて王国末期になるとギリシア文化と融合して、大きく様変わりしていきます。しかし、それまで何千年という時間を一定のファッションを保ち続けたのですから、それぞれの神々の属性や出生、またその当時まで生きてきたエジプト人のセンスや生活観、価値観などが反映されていると考えることもできますね。

さて、当時のこうした神々の服装を見るにあたってもアクセサリーというのはその神(個人)を表す上でも重要なものと考えられてきたようです。それでは、コレより先は当時のエジプト人に焦点をあてて、より詳しくそのエジプト人のアクセサリーに対する意識や意味合いなどを探っていくことにしましょう。

アクセサリーの意味

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エジプトでは古くからアクセサリーが一般庶民の間でも親しまれてきました。なぜそれほどまでにアクセサリーというものが親しみをもたれていたのか、その秘密はアクセサリーの持つ意味合いがすべてを物語っています。

日本では、縄文時代に石や粘土を使った首飾りや腕輪などが生まれ、アクセサリーとしては、朝鮮との交易が盛んになってきた古墳時代に、真珠や翡翠、水晶、瑪瑙、琥珀などを使った勾玉が多く作られるようになりました。古墳などからも、それらのアクセサリーというものは多く算出されています。

エジプトでは、アクセサリーといわれる最も古いものは紀元前4000年頃以降のに生まれました。古代ファラオや貴族の間では、アクセサリーは豊かさの象徴でもありました。この時代には、ラピスラズリやトルコ石、瑪瑙といった天然石を研磨し、加工した金を組み合わせて、ネックレス、ペンダント、イアリング、指輪などに仕立てた、現代に近い形のアクセサリーが誕生したと考えられています。

アクセサリーがエジプトでも日本でも文明のさほど高度でない時代から存在していたというのは、豊かさの象徴という意味合い以外にも重要な理由がありました。それは、アクセサリーなどの装身具というものは人間の、自然に対する恐れがあったからです。特殊な輝きを放つアクセサリーというのは、自然や、獣達に対する防護というような意味合いを持っていると考えられていたのです。猛獣や疫病、大自然の脅威など、生活を脅かすものに対する魔除けやお守りとして発展したものがアクセサリーの全身だと考えられています。それが時代の変化とともに、徐々に富のシンボルへとその意味を変えていきます。

もともと、特殊な輝きを放っていた天然石などはそれ自体が人間を魅了する輝きでもありました。その輝きが人間の欲望を掻き立てて、富の象徴というような人間らしい形に変貌させてしまったのかもしれません。その輝きの裏にはそうした魔力が本当に秘められていたのかもしれません。

ファラオのアクセサリー

エジプトにおいて、アクセサリーの本来担っていた意味合いなどは理解して頂けたかと思います。では、国家でもっとも重要な人物であるファラオのアクセサリーというのはいったいどのようなものだったのでしょうか?

まずは、もっともエジプトらしい黄金のアクセサリーから。エジプトのアクセサリーは貧しい人間でも金細工のアクセサリーの一つは持っていると伝えましたが、ファラオともなると一つの金細工で終わるわけではもちろんありません。ありとあらゆる物が金でできていたと考えてもおかしくはないほどの富を持っていたと考えられるからです。ピアスの大きさも相当分ある中、やはり黄金製ですし、腕輪、ネックレスなどにいたるものも黄金で出来ています。全身を覆うほどの金細工アクセサリーによって、王の富と権力を象徴し、現人神としての威厳を保とうということだったのでしょうか。その墓に収められる埋葬品なども黄金製の者が多く、当時の王の権力を彷彿させてくれますね。

そして、王らしいアクセサリーといえば王冠です。正式にはネメス頭巾といわれるファラオやスフィンクス独特の頭を覆っている頭巾につけられているものなのですが、額部分にはネクベト神(ハゲワシ)とウアジェト神(コブラ)が並んでつけられていて、これらはそれぞれが下エジプトと上エジプトの守護神であることを示しています。それらが並んでいることは両エジプトの統一者(ファラオ)を証明する証しにもなっていました。このネメス頭巾とハゲワシ、コブラの金細工はファラオや、神々のみがつけることを許されたものでした。ここでも、ファラオが神の子であることが象徴されていますね。

最後に、アクセサリーになるのかわかりませんがファラオ独特の装飾品が付け髭になります。これは、ファラオの”男らしさ”をあらわすものであったと考えられていて、誰よりも勇敢でファラオとして恥じない強さを証明するものでもありました。女性で最初にファラオになったハトシェプス女王も付け髭をつけている状態で描かれています。また、一説には最初にエジプトを支配した人間が(初代ファラオのことではありません)北方から来たエジプト人以外の人間であったため、その人には顎鬚があったので、伝統としてついていなければおかしいからつけていたのだという見方もあるようです。