インタビュー:青木香葉さん

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青木 香葉
岡山県生まれ、東京育ち。
国内外を問わず、様々なダンサー、振付師に学ぶ中で、独自のベリーダンススタイルを確立。現在では新宿でスタジオを持ち、ベリーダンスを世の中に広める傍らで、メディア方面でのダンスの振り付けを指導するなど、多方面で活動している。

芝居の世界からベリーダンスへ。

-香葉さんは元々お芝居をする役者さんになるつもりで勉強されていたとか。ベリーダンスとはどこで接点があったのですか?

大学で演劇の勉強ををしているときに中近東のお芝居をする事になったんですよ、その時の振付師が私のベリーダンスの最初の先生になる海老原美代子先生だったんですよね。

それで、先生と仲良くなったので先生のショーを見に行ったらものすごく感動しちゃったんです。それから、ベリーダンスを始めたのですが、もちろん最初は趣味の範囲でした。

-なるほど、それではダンスのショーを見た事に影響されて始めたという事なんですね。やはり当初はそれでもお芝居をして行きたいという気持ちが強かったのですか?

そうですね~、ベリーダンスを始めた当初はやはりまだお芝居のほうが本命でしたね。でも、ベリーダンスを続けていくうちに、生演奏で踊る機会があったんですよ。その時もやっぱり感動しちゃって。そのときいきなり先生に「プロを目指します!」って宣言しちゃったんです(笑)

-すばらしいですね。いきなりプロ宣言をしてしまうほどの衝撃があったんですね。

本当にすごく感動してしまって。演奏とダンスの一体感というか。すごく気持ちよかったんですね。でも、プロ宣言をしたものの、当時の日本ではやはりベリーダンスというもの自体が知っている人もほとんどいない状況だったので、どう勉強していいのかわからなかったんですよね。

とりあえず、先生のレッスンを受ける回数を増やしたり、という事はしていたんですけれどね~。とにかくがむしゃらに練習を重ねていました。ちょうどその頃に海外に出ていた小松先生が一時帰国してお会いする機会があったんですけれど、その時色々なお話を聞いて、海外のベリーダンスも勉強してみようと思ったんです。それからは、アメリカやエジプト、トルコにも行きましたね。

-その頃から海外に出て行くようにもなったんですね。エジプトやトルコなど、中東はわかりますが、アメリカに行かれたのはなぜですか?

実はアメリカのニューヨークや、西海岸の方ではベリーダンスが盛んなんですよ。現在の日本のベリーダンスも本場の物はもちろんですが、アメリカのベリーダンスの影響も大きく受けていると思います。

そうして海外で多くの先生に学びながら、私の中でこの先生のダンスのここがいい所、この先生はここがいい所という感じで、良い所を体得して行きました。その中で私なりのベリーダンスのスタイルというものを作ってきました。本場のスタイルの良さももちろんわかるんですけれど、自分なりのスタイルがあってもいいんじゃないかと当時から思っていたんです。

-ない部分を作っていく、昔からあるものにアレンジや独特のスタイルを加えて世の中に出していくというのはLUXORの考えているスタイルと同じですね。オリジナリティという意味でもとてもいいことだと思います。それでは次のページではその独自のスタイルを作っていく、プロになっていくまでの間で苦労した点などを伺いたいとおもいます!

独自のスタイルの確立と、プロになるまで。

-独自のスタイルを作っていく中で、どういったところで現存していたベリーダンスと差をつけていったのでしょうか?

私は、ベリーダンスに限らずにいろいろなものにとにかく挑戦してみました。バレエをやってみたり、ヨガ、モダン、気功なんかにも挑戦してみましたよ。そういったベリーダンス以外のものを通して、様々なものを体験できましたし、多くのものを学ぶ事が出来たと思っています。

ベリーダンスの先生からは表現して踊るという事を教えてもらいましたし、バレエの先生からは今の自分の体で表現できるような、筋肉の動きや、体の動かし方を教えてもらいました。そういった様々な経験や体験が合わさって私なりのベリーダンスになっていったと思いますよ。

先生の中には本場がこうだから、こうあるべきだということを教えてくれる人もいるじゃないですか。初めて私にベリーダンスを教えてくれた先生がそういうタイプの先生だったら、今の私はベリーダンスをしていないかもしれませんね。

-香葉さんの表現したいようにベリーダンスを踊る事ができたという事でしょうか。踊る人にとって、自分を表現する場所でもありますから、大切な事ですよね。それではベリーダンスを通して辛かった事などはありますか?

ベリーダンスを通してというか、ベリーダンス自体で辛いと思うことはほとんどなかったですよ。楽しく踊らせてもらっていましたから。ただ、私がベリーダンスを習っていた当時は一般の方々からは色物で見られることが多くて、セクシーダンス的な目線がどうしても否めなかったんですよね。それが一番辛かったです。

今では、一般的な知名度も出てきましたから、エンターテイメント的な感覚でダンスを見てもらえるようになってきたと思っています。でも、そういった色物として見られないように踊るにはどうすればいいのか、というところはまだまだ課題ではありますね。

-なるほど、ではプロを目指すようになってからの大変だったところや苦労した点はどういったところになりますか?

すごくシビアな話になっちゃうんですけれど、目標にしていた自分と、その当時の自分との格差に悩みましたね。もちろん、悩んでいる中でもがんばっていたのですが、周りにプロ宣言をしてからは周囲の先生たちの私を見る目も厳しくなって。アマチュアとしてはがんばっているけれど、プロとはいえないといった感じですよね。

色々と悩んだ時期があったりもして、紆余曲折ありましたけれどその度に一からまた始めようという決心をすることで乗り越えてきましたね。とにかくやるしかないっ、と言った感じで。

-目標にしている自分と、今の自分を比べてみる時、少し辛くなったりしてしまう事がありますよね。そういった経緯があって今ではスタジオを運営するまでになった香葉さんが目指す、今後のベリーダンスや、事業としての目標などを伺ってみたいと思います。

今後の香葉さんの目標と活動予定

-香葉さんが目指す今後のベリーダンスと言うものを聞かせていただいてよろしいですか?

今後のベリーダンスと言うよりも、私自身が元々芝居の役者志望だったこともあって、表現と言うものに興味があるんですよね。なので、表現するその手段がベリーダンスと考えています。

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何かを表現するのに、それぞれの表現の方法が一つになってセッションできるようなものを作って行きたいと思っているんですよ。その中には踊る人や役者さんももちろんですけれど、それを裏で支えてくれるスタッフ一人一人の働きも芸術のうちの一つだと思うんです。そうやって、みんなで作った何かが一つの表現としてみてくれる人に伝われば嬉しいですね。

-なるほど、さまざまなダンサーや役者が一つの舞台に集まって何かを表現すると言うことですね。見る側としても今までにない感覚を味わえて面白いと思います。では、ベリーダンス界をどのようにしていきたいですか?

ベリーダンスも、ジャンルの一つとしてもっと定着させて行きたいですね。やはり、昔よりは数が減ったものの今でも色物としてみてしまう人もいるので、そういったところをなくして、きちんとしたダンスとして一般の人たちの中に定着させて行きたいという気持ちはありますよ。

そのためにもビジュアル的な要素だけではなく、しっかりとダンスを踊れなければだめだという意識をベリーダンサーの間にも広めて行きたいと思っています。フラメンコは海外で舞台芸術として成り立っていたものが日本に入ってきたので、一般的にも芸術として認められていますが、ベリーダンスはまだまだそのレベルまで到達していないので、一つの芸術としてみてもらえるような作品や活動をアプローチして行きたいですね。

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-そうですね、私たちLUXORもベリーダンスを一般の方々に一つのダンスとして認めてもらえるように努力していくつもりです。これからのベリーダンス界がもっと盛り上がるように頑張って行きましょう!それでは、最後に見ている方にメッセージをお願いします!

踊ると言う事は楽しむ事です。上手い下手とかではなくて、踊る事で自分のハートが活き活きしてエキサイティングする瞬間を感じてもらえたら嬉しいです。そういう瞬間を感じられないと、人生は楽しくないですし、みんなが輝く瞬間に私が役立てればそれでいいと思っています。一緒に楽しく行きましょう~!

最後にうちのスタジオの子はみんな綺麗で、みんな良い子ですよ!(親バカですけど)みんなが活き活きと幸せにすごしていくためにも、ベリーダンスも楽しく学びながら踊りましょうね。

-まずは楽しむ、と言う事ですね。楽しく活動できないと上達できるものも出来ないのかもしれませんね。僕もこれからもっと楽しく、仕事をして行きたいと思います!香葉さん、今日はお忙しい中ありがとうございました!