エジプトの衣服

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エジプトの服飾などについてまとめてみました。古代からエジプトは暑く乾燥している地域だったために、そういった環境に対応するための服装などが発展してきたと考えられています。

現代のエジプトの人々は、都市部の若者の中には洋服を着ている人も出てきました。しかし、地方や少し年配の人になると、古来からの民族衣装であるガラベイヤを着ている人のほうが多いように感じられます。ガラベイヤというのは男性でも女性でも着る民族衣装のことですが、女性用の場合になるときれいな刺繍が施されてきらびやかになっているものが多いようです。男性用は無地であることが多く、いわゆるアラブを連想するような服装となっています。

エジプトの特産の一つに綿花があります。エジプト綿は世界でも非常に上質な綿として知られていて、肌ざわりがよいこととと通気性が高いことが特長です。特に暑いエジプトでは、木綿は涼しくて着心地のいい服の素材として、古来からよく利用されてきました。現代日本でも「エジプト綿使用」と表示された上質の肌着や衣類をよく見かけることがあると思います。色彩も多岐にわたりますが、日本でも紫色の衣服というのは古来から高貴な色として根付いていますが、それはエジプトでも同じようで、紫色の服を着ている人は高貴な人が多かったようです。

古代エジプトでは早くから藍染が行なわれていたといわれています。藍の主成分であるインディゴは、鮮やかな青色が長持ちし、防虫効果もあることから広く用いられてきました。現在のジーンズの青色というも、アメリカの開拓時代に草原をかけめぐるカウボーイたちが、毒虫や毒蛇に対する予防策として藍染をほどこしたことが起源だといわれています。現在新生児の下着には皮膚病に薬効のあるウコン木綿が用いられました。薬効からも本来の染色は、身体保護のために用いられたことを伺うことができますね。
このようなことから、古代エジプトでも様々な千恵を絞って衣服を生産していたことを伺う事ができます。

衣服の歴史

エジプトの衣服についての歴史は古くからあって、BC5000年ほどからは衣服を生産するための麻の生産が行われていたことが確認されています。麻は通気性がよく、汗にも強いため暑い地方のエジプトでは非常に重宝される素材でした。エジプトにおける麻の生産は徐々に拡大していき、ファラオがミイラにされたときには全身をくまなく麻素材の包帯で巻くほどになりました。

やがて大きな布の中心部分に穴を開けて作った貫頭衣のようなもので、いずれローマ等西洋文化のローブの原型と呼ばれるものが作られます。古代のエジプトにもこの技術は伝わったようで、頭部と、両腕の部分をくりぬいたドレス状の服装が女性の主な服装となりました。身分が上がるごとにその装飾などは壮麗になったようです。

そして、やがてスカートの原型といわれるものがエジプトで発祥されます。これは従来の服装に大きな変化をもたらしました。それまでは上下一貫していた服装が上下を別々の服装で選べるようになったため、オシャレという概念がますます強くなって、様々な形の服が生み出されるようになります。こうして古代エジプトでの服飾というのは発展していきました。

しかしやがてローマ帝国よりエジプトが支配されるようになると、ヨーロッパで発展した服装がエジプトにもたらされます。宗教観が変わることによって、生活も変わり、それに伴って服装も変わっていきました。男性はそのころまでエジプトでは上半身が裸のことが多かったのですが、上下の服装を身につけるようになるなど、多様な変化を遂げるようになりました。そうした支配から数百年の歴史が流れ、7世紀頃には、イスラム教によってエジプトは占拠されてしまいます。

ここにきて、またしても服装は大きく変わっていきます。エジプト人の殆どがイスラム教に改宗することになったためイスラム教の戒律を守るような服装へと変わっていきました。そんな中で男性と女性ともに着用できるようになったのがガラベイヤと呼ばれる民族衣装です。締め付ける部分もなく、ゆったりとした服装のために行動しやすく、また通気性に優れているためにエジプトで暮らす人々にとってはまさに機能性としては十分な衣服でした。

そのほか、イスラム教の影響によって、女性は手首より先と目の部分しか肌をさらすことができなくなったため、スカーフをかぶり髪を隠したり、自分の体の曲線がわからないような服装を取るようになります。男性もターバンを頭に巻くようになるなどそれまでの服装とは一変しました。

そして、現在まで時は流れてきましたが、地方や年配の方の多くはまだイスラム教の教えに従い、服装を厳しくしているところがあるようです。しかし、若者の中には(すべてではありません)こういった伝統や決まりごとに左右されずにオシャレを楽しむ人もいるようで、Yシャツ姿の男性や、現代らしい服装の女性なども見かけるようにはなってきました。

古代の衣服

古代エジプトの服装でもっとも着目するべきは頭部のファッションだったかもしれません。ファラオなど高貴な人々の証として、古代エジプトでは身分の高い人はそれなりに被り物をしている習慣がありました。古代王国の装飾品としてはどの国でも見られるように一般的なものでしたが、エジプトは金の産出なども盛んだったという点から他の国の被り物などと比べると見栄えのするものだったと考えられます。また、強い日差しから頭を守り、シラミを回避するということから、高貴な身分の人々にはかつらを装着するというのが流行しました。かつらは頭皮などの保護の目的のほか様々なかつらを持つことによってファッションとしても楽しまれました。

それを象徴するかのように時代によって流行があり、王朝ごとに壁画や彫像の髪型なども違って描かれていることが多くあります。ファッションに関する雑誌などはなかったものの、やはり貴族等は流行やファッションには敏感であったことが伺えます。一例にあげるのなら神々の髪型を模した「ハトホル・スタイル」と呼ばれる、ハトホル女神の髪型に似せたカツラ等、王妃専用のかつらや、王専用のかつらなどもあり、古代のエジプト人のヘアースタイルに対するこだわりは並大抵ではなかったこともわかります。

しかし、庶民にはかつらは高級品だったようで余り浸透していなかったことがわかっています。貴族の中にもかつらを好まない人もいるために、育毛剤などを処方していたこともわかっているため、かつらに関しては好みによって分かれていた。という考え方もできるようです。また、育毛剤のほかに脱毛剤なども発見されており、これらの使用用途は性格にはわからないものの、神官やファラオなど常にかつらを被っていなければいけないような人々は脱毛剤を利用していたのかもしれません。

かつらの話が長くなってしまいましたが、服装について。基本的に男性なら平民、貴族に関係なく上半身には衣服はつけていなかったようです。ただし、貴族以上の階級になるとペンダントなどのアクセサリーを好んでつけていました。これらはアクセサリーとして以外にも魔除けの道具として信じられ、常に持ち歩いていました。

女性は、階級によって服装の派手さは違うものの、基本的には足首まで隠れるくらいの長いドレス状の服を着用していました。平民、貴族階級などを問わずに白粉等は手に入ったためによく使うことがありましたが、香水は高級品だったために貴族しか持つことができませんでした。また、装飾品は細やかで色鮮やかなものを好んでオシャレを楽しんでいたようです。

また、平民と貴族階級での最大の違いは靴で、平民は常に裸足でしたが、貴族階級の人間は植物の繊維で作った靴を履いていました。この靴は男性も女性もはいていたものですが、女性の靴は先端が尖っているような形状をしていました。

現在の衣服

現在のエジプトの服装は非常に多種多様といって言いというほど様々あります。まずは田舎のほうに行くと、イスラム教の影響を受けた服装であるとかで、男性はターバンを、女性はスカーフをして顔を隠している場合もありますし、ガラベイヤといわれている民族衣装を着ている人もいます。一方都市部に向かうと、そういった人たちの割合は減ってきて若い人たちはYシャツであったり、Tシャツを着たりと、割と欧米らしい服装になってきています。それは女性に対しても言えることで、もちろん若い人の中でもスカーフを巻いている人はいますが、洋服を着てファッションを楽しんでいる女性も多く見かけることができます。

年中を通して温暖なエジプトではキャミソールにジーンズやミュールといった服装が人気があるようで、日本の女性と服装は殆ど変わりません。エジプトの若い女性も、友達同士でショッピングセンターに行くなどして、買い物にオシャレを楽しんでいるようです。

また、エジプトで発行されているファッション雑誌などでもエジプトのファッション状況を知ることができます。特に英文の雑誌であるCLEO(クレオ)や、総合情報誌のエジプトトゥデイは広く受け入れられているようで、若い女性を始めとして、エジプトトゥデイにいたっては多くの人に親しまれている雑誌といえるかもしれません。