日埃関係
概況
我が国は、1936年にカイロに公使館を設置(54年大使館に昇格)して以来、エジプトと良好な関係を維持している。2002年の邦人渡航者は5万人台であったが、その後徐々に増加し、2004年の邦人渡航者数(観光客が大部分を占める)は約7万人。ムバラク大統領は過去4回訪日し、2003年には小泉総理がエジプトを訪問する等、両国間での要人往来も頻繁に行われている。
日本政府は、エジプトを中東地域の主要な安定勢力として位置づけ、積極的な経済協力を実施(下記(4)参照)。エジプトは我が国との経済関係の強化を希望。
政治関係
両国政府間では、従来から、政府高官の相互訪問や合同委員会等を通じて二国間関係及び地域・国際情勢についての協議を実施。1999年のムバラク大統領訪日時には、中・長期的観点からの協力関係を構築するため、「パートナーシップ・プログラム」に合意。
2003年5月、小泉総理がエジプトを訪問し、ムバラク大統領との間で、イラク復興及び中東和平に関する協力促進と、日・アラブ対話の構築に合意。なお、過去の首脳レベルの訪問は、ムバラク大統領が4度(83、89、95、99年)、我が国総理は3度(90年海部総理、95年村山総理、03年小泉総理)。
経済関係
両国の貿易量は近年減少傾向にあり、日本企業の対エジプト投資も低調であり、経済分野での日・エジプト間の交流は活発とは言えない状況。2002年の日本の対エジプト輸出額は、5億700万ドルと、過去5年間の中で最も少ない水準に留まった。一方、石油・石油関連製品や綿花・繊維品が大半を占めるエジプトの対日輸出も低迷傾向にあり、2002年には6,900万ドル水準となり、これも過去5年間で最小のものとなった。また、2003年のエジプトの対日輸出は、9,700万ドルで、同年の対日輸入は、2.71億ドルとなった。
エジプト政府は、投資環境の整備に力を注いでいるが、日本の対エジプト直接投資は依然低い水準に留まっており、2001年までの累計額は1億800万ドル(案件数は34件)という状況にある。在エジプト日系企業数は40社(2003年10月時点)。
エジプト側は、我が国との貿易の拡大及び我が国からの投資の活発化を強く希望。1999年のムバラク大統領訪日の際に、民間の経済フォーラムである日・エジプト経済委員会の再活性化が合意され、将来の技術移転、貿易・投資の促進等に関する問題が議論されていくことになった。同委員会は、1999年11月にカイロで、また2000年10月に東京で開催された。2002年7月にカイロで開かれた第5回会合では、両国政府に対する要望書を採択。第6回会合は、2005年4月に東京において開催された。
近年、日本からの観光客数は、1997年のルクソール事件、9.11事件、イラク戦争など、国際・地域情勢の変動の影響を受け、減少してきたが、その後徐々に回復し、2004年は70,597人(対前年度比16%増)を記録した。
経済協力関係
我が国は、エジプトが中東地域における大国であり、中東和平プロセスを始めとする地域の平和と安定のために重要な役割を果たしていることや民主化と市場経済化に向けた努力を継続していること等に鑑み、積極的な援助を実施。
支援の重点分野は、1)経済・社会基盤の整備及び産業の振興、2)貧困対策、3)人材の育成及び教育の充実、4)環境の保全及び生活環境の向上、5)三角協力(南南協力)の推進。
2001年6月、1991年以降停止していた円借款を再開し、第1号として「社会開発基金」に対するツーステップ・ローンを供与。その後、「カイロ・アレキサンドリア送電網計画」(約80億円)、「ザファラーナ風力発電計画」(約134億円)、「ボルグ・エル・アラブ空港近代化計画」(約57億円)に対する円借款、並びに「ギザ市ピラミッド北部地区上水道整備計画」(約37億円)への無償資金協力を実施する等、エジプトに対する経済協力は順調に進展。
小泉総理のエジプト訪問時に合意されたイラクに対する協調支援についても、2003年7月の合同医療調査団のバグダッドへの派遣、同年10月の医療関係者の訪日等を経て、2004年3月から、カイロ大学等において約320名のイラク人医療関係者を対象とした研修を実施する等、順調に進展。
文化関係
我が国は2001年~2002年、エジプトにおいて「ジャパン・フェスティバル」を実施。2003年9月、文化交流・対話ミッションをエジプトに派遣。