エジプトのオベリスク
オベリスクは古代エジプト(特に新王国時代)に作られていた石柱です。石柱とは言っても何かを支えていたわけではなく、主には屋外にて記念碑的に建てられていました。
ほとんどのオベリスクは花崗岩でできており、上方に向かうにつれて細くなっていく四角形状の形状をしています。頂上付近はピラミッドのように四角錐状に作られていて、完成当初は金などが施されていました。オベリスクの側面には王の名前や王の功績などが神々への報告として記され、王の威徳を示す象徴とされていました。
エジプトに当初存在したオベリスクの多くは戦利品として諸外国に持ち出されてしまい、本国エジプトに現存するオベリスクはそう多くはありません。
写真はカルナック神殿内の、アモン大神殿にあるトトメス1世が建築したオベリスクです。第3塔門と第4塔門の間に建築されていて、本来は2本対になっている状態で建築されていましたが、その後1本は何かの建築物の材料として持ち出されたのか詳細は不明ですが、現在は切り出しのときにこぼれた破片しか残っておらず、オベリスクは片方しか残されていません。
また、このオベリスクは多少傾いて建築されていて、垂直に立っているわけではありません。しかし、オベリスク自体は安定して立っているので、倒れる心配はなさそうです。建築されてからおよそ3世紀半後、ラムセス4世がこのオベリスクの当初の碑文の両側に新たに碑文を書き加え、それから2代後のラムセス6世はラムセス4世の名前を自分のものとして書き換えたそうです。
このオベリスクは高さが約20mで、台座を含めると大体23メートルほどあります。材質は赤色花崗岩で作られており、重さは140tを超えると予想されています。
オベリスクの解説
ラムセス2世オベリスク
多くのツアー案内や旅行記などでもよく見られる、エジプトに現存するオベリスクでおそらくもっとも有名なオベリスクです。場所はルクソール神殿前、第一塔門の左側にあります。
偉大な建築王ラムセス2世の作ったオベリスクのうちのひとつです。ラムセス2世はエジプト全ファラオの中でもっとも多くのオベリスクを建造したといわれています。現在でも9本確認されています。それぞれが小ぶりなオベリスクですが、このルクソール神殿にあるオベリスクはひときわ大きく、エジプトに現存するオベリスクの中ではハトシェプス女王のオベリスクに次ぐ大きさとなっています。
オベリスクの台座の2面には4頭ずつのヒヒの像が置いてあります。本来はもう一本ルクソール神殿向かって右側にもオベリスクが存在していたのですが、現在はなくなってしまっています。
セティ2世オベリスク
セティ2世はラムセス2世の孫に当たる人物です。このオベリスクは他のオベリスクと比べると小さめで、高さは約7mほどです。カルナック アモン大神殿の参道の手前に建設されています。当初は2つ対になって設置されていましたが、現在は1本が失われています。
トトメス1世オベリスク
オベリスクのトップページでも紹介したトトメス1世のオベリスクです。カルナックのアモン大神殿第3塔門と第4塔門の間に建造されたこのオベリスクは本来は2本で1対のオベリスクでしたが、現在は1本しか残っていません。
オベリスクの頂上。四角錐状の部分はエレクトラムという物質でできていて、光を反射し、輝くように設計されていましたが、現在ではそのエレクトラムは失われてしまっています。
現在では、このオベリスク自体は傾いてしまっていて垂直な状態を保ってはいませんが、安定して立っているので倒れることはまずなさそうです。無くなったもう一本のオベリスクに関しては、台座が建設されていた場所に残っていることから、他の建築物に利用するために切り取られたものだと考えられています。
ハトシェプス女王オベリスク
エジプト初代女王のハトシェプス女王が立てたオベリスクです。このオベリスクはエジプトに現存するオベリスクの中でもっとも高い物となっています。ハトシェプス女王は非常に治世の行き届いた女王で、当時のエジプトでは戦争などが相次いでいましたが、ハトシェプス女王が政治を収めていた時代は戦争がひとつもなかったといわれているほどです。
また、そういった己の業績を神々に報告する方法としてオベリスクを4本立てました。それが、このハトシェプス女王のオベリスクになりますが、現在は4本のうち2本しか残っておらず、またそのうちの1本も倒れてしまっています。このオベリスクはカルナックのアモン大神殿第4塔門と第5塔門の間に位置していて、カルナックの観光で見ることができます。倒れているもう一本もすぐ側においてあるので確認することが可能です。
ヘリオポリスオベリスク
現存する屋外に立っているオベリスクのうち、最古に建造されたオベリスクで、カイロ郊外のヘリオポリスと呼ばれる場所にあります。この周辺は公園として整備され、有料ですが中に入ることができます。
このオベリスクを建築したセンウセルト1世は、先王であるアメネムヘト1世の建造した神殿の前に2本の対になるオベリスクを建造しました。現在ではそのオベリスクの片方と神殿は跡形もなく消えてしまっていますが、おそらく1158年前後までは2本とも健在で、その後地元住民によって切り倒されたといわれています。。当初はこのオベリスクは王位更新の際に行われるセド祭に際して作られました。
カイロ空港オベリスク
建築王ラムセス2世によって建造されました。現在のサンエルガハルという村でこのオベリスクは発見され、その後カイロ空港まで移築されました。今では観光客を出迎えるエジプトの名物となっています。
このオベリスクにはラムセス2世の栄光や、戦績などが記されていて、ラムセス2世の業績を神々に報告するために建造されたのだろうと考えられています。高さは約17mとなっています。
ゲジーラ島オベリスク
このオベリスクもラムセス2世によって建築されました。もともとはサンエルガハルにあったもので、現在カイロ空港に移築されたオベリスクとともに発見されたものです。現在はカイロタワーの近くにあり、カイロの中心部分的位置に移築されていますがあまり観光客などに見られることもなく、ひっそりとしています。高さは約13mほどですから、同時期に同じ場所で見つかり、同じ王によって立てられたカイロ空港のオベリスクとは一対の関係にあるオベリスクなのかどうかは未だ明確には解明されていません。
世界のオベリスク
世界中に現存しているオベリスクは合計で30本だといわれています。そのうちにオベリスク発祥の地、エジプトには7本しか残っていません。古代ローマ帝国がエジプトを支配下に収めたとき、エジプトから50本ものオベリスクを本国ローマに持ち帰ったと伝えられていますがその殆どが現在発見されていない状態で、ローマには13本のオベリスクが残されているのみです。そのほかの10本のオベリスクに関しては、イタリア各地、トルコ、イスラエル、フランス、アメリカ、イギリスなどに点在しています。
もっともオベリスクの多い町はイタリアのローマで13本ものオベリスクが存在しています。ローマではオベリスクは広場や公園に主に立てられており、街中の様々なところで確認することができます。イタリアに限らずエジプトから持ち出された(もしくは寄贈された)オベリスクはその圧倒的な大きさからすべてが屋外に移築されています。
そのオベリスクを一覧するとエジプト国外のオベリスクは下記のようになります。
イタリア ローマ サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ広場
イタリア ローマ バチカン市国,サンピエトロ広場
イタリア ローマ ポポロ広場
イタリア ローマ モンテチトリオ広場
イタリア ローマ ナヴォーナ広場
イタリア ローマ エスクイリーノ広場
イタリア ローマ クイリナーレ広場
イタリア ローマ スペイン階段の上
イタリア ローマ ピンチョの丘公園内
イタリア ローマ ローマ国立博物館の南庭
イタリア ローマ ロトンダ広場
イタリア ローマ ミネルバ広場
イタリア ローマ ビラ・チェリモンターナ
イタリア ウルビーノ リナッシメント広場
イタリア フィレンツェ ピッティ宮殿跡
イタリア カターニア ドゥオーモ広場
トルコ イスタンブール ヒッポドローム跡地
イスラエル カイザリア ヒッポドローム
フランス パリ コンコルド広場
フランス アルル レプブリック広場
イギリス ロンドン ビクトリアエンバンクメント
イギリス ウインボーン キングストンレーシー・ハウス&パーク
アメリカ ニューヨーク セントラルパーク
上記の23個がエジプトから持ち出され、現在も海外で見ることのできるオベリスクになります。もしもオベリスクを見るための旅行に出る方の参考になれば幸いです。
海外に現存するこれらのオベリスクの中でもっとも大きいものはローマのラテラノ広場にあるオベリスクで高さが約32mにもなります。このオベリスクはエジプトのトトメス3世によって作られたもので、もともとはエジプトのカルナック神殿にありました。それが、ローマ帝国の皇帝、コンスタンティヌス1世によって運び出され、現在のローマの位置まで移築されたようです。
このほかにも世界各地には様々なオベリスク状のモニュメント等がありますが、あくまでこのページではエジプトで製造、持ち出されたオベリスクの紹介にとどめておきたいと思います。