エジプト関連辞書(は行)
バーレーン王国/Kingdom of Bahrain <国>
中東、西アジアに位置する国で、首都はマナーマ。ペルシャ湾にある大小33の島からなら島国でバーレーン島を主島としている。 イスラム教の国家でありながら、世界中からビジネスマンや観光客が来る事もあって飲酒は自由とされ、週末には酒を求めて周辺のシーア派イスラム教徒が集まって賑わっている。サッカーやF1が人気で、サーキット場を建設するなど娯楽も多く存在している。また、文化は西洋に近いといえるかもしれない。 歴史面では古代にはディルムン文明と呼ばれている、エジプト文明やシュメール文明にも匹敵するほどの大きな文明の中心地であったと考えられている。その後は真珠の産地として有名で、1782年に現国王であるハリーファ家がカタールから移住してきてこの地を支配した。1800年後半にはイギリスの保護国となったがその後独立。2002年には絶対君主制から立憲君主制へと改革した。
バーレーン島/A Bahraini island <地域>
バーレーンの首都を擁している島でペルシア湾に浮かんでいる。島の大半は砂漠地帯であるが北部には数点のオアシスが存在している。またサウジアラビアには約24kmに及ぶ橋で繋がっており、1時間程度で行き来が可能となっている。
ハトシェプスト女王葬祭殿/Hatshepsut Funerals and Festival <遺跡>
ルクソール西岸にある、古代エジプト史上唯一の女性ファラオであるハトシェプストが建築した葬祭殿。ハトシェプストの側近であり建築家のセンムトが設計を行ったとされている。後にトトメス3世の破壊を受けて壁画や銘文が削られてしまうなどの被害を受けた。手前にはメンチュヘテプ2世の王墓があり、あわせてデル・エル・バハリなどと呼ばれ、コプト教の教会として利用されていた。1997年11月にはテロ事件の現場にもなった。
パピルス/Papyrus <道具/植物>
カヤツグリ科の植物で、ナイル川源流のあたりに広く自生していた。多年生の草本で高さは5mほどまで成長する事が確認されている。茎は直径約6cmほどで、古来から生活用品や筆記用の媒体として利用された。 中でも筆記用の媒体として利用されていたパピルス紙は現在の英語に見られるpaper(紙)の語源ともなっており、古来では広く使用されていたとされる。厳密に言えば、後世に中国で発明された紙とは製法が異なるため、紙には区分されないが、その性質は紙に似ており、薄さ0.1~0.25mmほどの紙状の媒体である。パピルス紙は折り曲げには弱いために一般には巻物として利用されていたとされ、その際は数枚のパピルス紙をアラビアゴムでつなぎ合わせて長い紙として利用し、棒状のものに撒きつけて利用していたと考えられている。その1枚目をprotokollonといい、現在もプロトコルという名前で通信業界などで広く使われている言葉となっている。時代が進むとキリスト教の影響で冊子本として用いられる事もあったが、その強度に問題があったために、後に中国から紙の製法が入るとパピルス紙は利用されなくなり、近代になるまで製法は失われていた。しかし、古代ローマの博物学者の大プリニウスの博物誌をもとに多くの研究者がパピルスの復元に成功したので、現在では製法などもわかり、エジプトでは人気のお土産となっている。
バビロン/Babylon <都市>
メソポタミア地方の古代都市で、バグダッドの南約90kmの地点をユーフラテス川をまたいで広がっていた。語源はアッカド語のBab-ilimに由来しており、神の門を意味している。都市の守護神としてマルドゥクを崇めていた。B.C2000頃にアムル人が王朝を建設した際にバビロンを都として作ったとされ、この地を地盤にして6代目の王であるハンムラビがメソポタミアを統一した。その後バビロンはメソポタミアの中心都市として栄えつづけ、カッシートやアッシリアの支配を受けても変わる事がなかった。B.C600年代に入ると新バビロニア王国が興り、バビロンの空中庭園など、現在でも多くの謎を残している施設が建設された。しかし、新バビロニア王国も、アケメネス朝ペルシャによって滅ぼされた後は、アケメネス朝ペルシャの一地方都市となったためバビロンは衰退してしまう。 その後に古代マケドニアによってアケメネス朝ペルシャが滅ぼされると、アレクサンドロス大王はバビロンの地を都と定め、再び繁栄を取り戻したが、アレクサンドロス大王の死後ディアドコイ戦争に巻き込まれてしまった。
バルバロイ <用語>
ギリシャ語で蛮族というような意味合いに当たる。対照的にギリシャ人は自分たちの事をヘレネスと呼んでいた。
パレスチナ/Palestina <地域>
西アジア、中東に位置する地域で、古くはカナンと言った。近代的な意味でパレスチナという場合には、イスラエルのほかにもパレスチナ暫定自治区を含む地域を示すが、日本語においては、パレスチナ暫定自治区のことのみを指して言う場合もある。 紀元前10世紀頃にイスラエル王国がこの地で誕生し、エルサレムが建設された。旧約聖書によって、パレスチナはイスラエルの民に神が与えた土地と記されているために約束の地とも呼ばれる。そのために、ユダヤ教ひいては、そこから派生したキリスト教やイスラム教にとっても重要な土地といえる。そのために、各宗教間でこの土地を争奪する戦いが何百年も前から繰り返し行われてきた。 7世紀頃にイスラム勢力による支配が始まり、その中でもシリアとエジプトはたびたび支配を変えるほどにパレスチナにて争った。その後16世紀にはオスマン帝国の支配下に入ったが、1900年代になって各地から入植してきたユダヤ人がイスラエルを建国すると大量のパレスチナ人が追い出されたためにパレスチナ問題が発生した。その後もイスラエル勢力とパレスチナ勢力は長期間闘争を続けたが1993年にオスロ合意を結び、現在のパレスチナ暫定自治区地域においてパレスチナ人の暫定自治が開始され、同時に停戦協定が結ばれた。しかし、停戦に同意しない両勢力の一部の人間がテロ活動などを行っているために2000年以降問題が再発。停戦協定は事実上破綻しているといえ、現在も問題は解決を見ていない。
パレスチナ解放機構/Palestine Liberation Organization <組織>
イスラエルの支配下にあるパレスチナを解放する事を目的とした諸機関の統合機関のこと。アラブ連盟によって設立され、元々はイスラエルを排除する事を目的としていたが、ヤーセル・アラファート主導の下でパレスチナの解放とは、多宗教、多民族が共存できる国家を樹立する事として、機構の目的を改めた。 初めはヨルダンに拠点があったものの、ファタハがイスラエルに対してたびたびテロ攻撃を行ったのでヨルダンから追われる事となり、レバノンに拠点を移した。しかし、イスラエル軍がレバノンに侵攻するとチュニジアにさらに拠点を移し、機関の目標をイスラエルと共存できるパレスチナ国家の樹立と改めた。 その後、湾岸戦争の際にイラクに呼応する動きを見せると、イラクに対立している国々からの援助が打ち切られて財政的に困難に陥ったが、ノルウェーの仲立ちでオスロ合意にこぎつけてパレスチナ暫定自治区を設立。自治に当たるのはパレスチナ解放機構が基となったため、ヤーセル・アラファートが議長として就任した。2004年には激化するテロ活動の中、ヤーセル・アラファート議長が病死し、後任にマフムード・アッバースが議長として就任した。
パレスチナ暫定自治区/A Palestinian provisional autonomous district <用語>
パレスチナ解放機構が前身となって作られた、パレスチナにおける暫定国家である。1993年にイスラエルとの間でオスロ合意が交わされたためにパレスチナ解放機構が暫定自治政府を置き、その政府の活動範囲がパレスチナ暫定自治区と呼ばれるようになった。暫定自治区を国家として承認している国はアジア、アフリカに多く存在しているが日本を始めとして、アメリカやヨーロッパ諸国では国家として承認していない国も少なくない。 パレスチナ解放機構の頃からリーダー格であったヤーセル・アラファート議長が初代大統領となり、その他に首相を置く内閣が設立されたが、実質はヤーセル・アラファートのワンマン国家であった。その後、ヤーセル・アラファートが亡くなると大統領選挙が行われ、マフムード・アッバースが当選して大統領となった。
パレスチナ人/A Palestinian <用語>
パレスチナ地方に住んでいるアラブ人を独立した民族として捉えた場合の呼称である。起源としてはパレスチナに居住していたユダヤ人がアラブ人の支配により改宗し、言語的にアラブ化したのがきっかけといわれている。その後、様々な支配や抗争に巻き込まれることが多かったために多くの混血が生まれる事となった。
パレスチナ問題/A Palestinian problem <用語>
パレスチナ居住者の中で、パレスチナ人と入植してきたユダヤ人の間での紛争を政治的問題として捉えた呼称。主に入植してきたユダヤ人とパレスチナ人の間での武力衝突を中心として、難民問題など様々な方面にて波紋が広がっている。
汎アラブ主義/Pan-Arabism <用語>
第一次世界大戦期にヨーロッパによる帝国主義支配に抗して起こった、民族自決運動のひとつ。中東における国家を超えたアラブ民族の連帯をめざす思想運動の事で、アラブ民族主義ともいう。内容としては社会主義を機軸とした中に、アラブ民族独特の民族主義が加わったもの。代表的な例としては、エジプトのナーセル大統領による、エジプトとシリアによるアラブ連合共和国の樹立などがあるが、結局長続きはせず、現在は別々の国家として存在している。イスラエル独立などと重なった事で、汎アラブ主義は民族運動から反イスラエル運動へと変質してしまった事や、イスラエルにアラブ諸国が相次いで敗北した事によって下火になり、現在は活動が低迷している。
パンジャーブ地方/Punjab district <用語>
インド北西部からパキスタン北東部にまたがる地域の事を指す。インド・パキスタンの分割の際に、インド側とパキスタン側に分割されている。パンジャーブの語源は、ペルシャ語で「5つの水」を意味するパンジュ・アーブで、インダス川とその4つの大きな支流に由来している。パンジャーブはこれらの大河に囲まれた地域で、灌漑によって小麦・米の生産力に優れた豊かな農地となっており、インド・パキスタン両国にとっては重要な穀倉地帯として有名である。住民はパキスタン地域にはイスラム教徒、インド地域にはシク教徒、ヒンドゥー教徒が住んでいる。
PLO <組織>
パレスチナ解放機構。Palestine Liberation Organizationの略称である。詳しい活動の内容などはパレスチナ解放機構を参照。
B.C <用語>
=紀元前。Before Christの訳で、キリスト誕生以前の時代を指す。
ヒエラティック/Hieratic <用語>
古代エジプトで使用されていた3種類の文字のうちの一つ。ヒエログリフ(聖刻文字)を、パピルスに記載するために簡略化された書体と考えられているが、その後民衆用にさらに簡略化されたデモティックが作られると、衰退してあまり使用されなくなった。
ヒエログリフ/Hieroglyph <用語>
聖刻文字、神聖文字ともよばれるヒエログリフは、古代エジプトで使用されていた文字の1種。現存する多くの遺跡にて確認することが出来る。4世紀頃までは読み手もいたとされているがその後は衰退し解読の方法すらわからなくなってしまった。その後近代に入り、多くの学者が解読に挑戦したがいずれも解読には失敗してしまった。有名な人物にアタナシウス・キルヒャーなどがいる。その後19世紀に入り、フランスのジャン=フランソワ・シャンポリオンがアタナシウス・キルヒャーの収集した資料を基にして、ロゼッタストーンの解読に成功し、それを突破口として多くの学者が研究を重ね、現在では比較的簡単に読むことが出来るようになった。しかし、その発音方法までは詳しい事はわかっておらず、学者の間でも様々な発音方法が考えられている。 中王国時代にはヒエログリフの改革が行われより利用しやすいように改善された。ヒエログリフというのはエジプトで石に刻むなど、正式な文字として利用されており、それ以外の場合でパピルスに文字を書き込む場合などはヒエラティックと呼ばれる神官文字を使用した。末期王朝時代の第26王朝ではさらにヒエラティックの改良が行われ、民衆にも使いやすい簡単なデモティックという民衆文字が開発された。
東ローマ帝国/Eastern Empire <国>
東西に分裂したローマ帝国の東方地域を継承し、1000年以上にわたって大帝国として君臨していた国。一般に「ビザンティン帝国」とも呼ばれるが、この名称は後世の人間による呼称であり、当時の政府や住民は自らの国を単に「ローマ帝国」と称していた。首都はコンスタンティノポリス(現在のイスタンブール)にあり、東方正教会を国教とした国家。世襲制ではなく、「元老院・市民・軍隊」によって推戴された人物が皇帝になることが出来るという専制君主制だったために、平民から皇帝になったという人物も歴史上存在している。
ビザンティン帝国/Byzantine Empire <国>
東ローマ帝国の事を指す。正式名称ではなく、帝国崩壊後、後世の人間がつけた呼称である。東ローマ帝国参照。
ピラミス/Pyramis <食品>
三角形状のパンで、古来からエジプト及びギリシャ方面で食されていた。ピラミッドの語源になったパンとも言われている。
ピラミッド/Pyramid <遺跡>
エジプトや中南米に見られる四角錐状の建造物の事を指し、以前は金字塔という訳語が使われていた。特にエジプトに見られるものが世界的に有名であり、一般には歴代のファラオの王墓であるとかなんらかの宗教施設であると考えられている。ピラミッドという言葉の語源はピラミスという三角形のパンから来ている。エジプトで最も有名なピラミッドにはギザの三大ピラミッドがあり、種類は真正ピラミッド、屈折ピラミッド、崩れピラミッド、階段ピラミッドと、多くの形状で残されている。 また中南米メソアメリカ文明のピラミッド建築は、王墓や天文台として利用される事もあったが、神殿として建造、使用されたと考えられている。代表的なものにはマヤ文明のティカル1号神殿などが挙げられる。
ファタハ/Fatah <用語>
パレスチナ解放機構における最大党派で、長らく与党の地位にあったが2006年にハマスに敗れて下野した。初代議長はヤーセル・アラファートである。1957年に結成され1967年にはPLOに参加。その後長い間イスラエルに対してテロ活動を行っていたがそれが原因で各地を点々とする事になる。しかし、各地を転々としながらもミュンヘンオリンピック事件で知られているテロ組織、黒い九月を結成するなどテロ活動を続ける事になった。しかし1980年に一転して穏健的な行動をとるようになった。
ファラオ/Pharaoh <用語>
ファラオとは古代エジプトにおける君主の呼称の事で、神権政治を執り行う事が出来た。語源は古代エジプト語の「ペル・アア」から来ており、大きな家という意味に当たる。本来この言葉は王宮などを指すものだったが、転じてその家の主、つまりファラオを指す言葉として変わった。 ハトシェプスト女王を除き、他の全てのファラオが男性であるが、王位継承権はそのファラオの第一皇女にある。とされているが、実際はファラオになっている男性が実の娘と結婚するなどしている事から、真意は謎のままである。先で述べたように親族間での結婚をするなど特徴が見られるが、近親相姦が強かったと言うわけではなくおそらくは血筋を守り国を安定させるための機能だったと考えられている。 ファラオの名前には神の名前が組み込まれ、神権による政治をなしていた。またその神の名前によって神官団との関係やつながりも示されていたようである。メネス頭巾と呼ばれる縞々模様の頭巾をかぶる事や、付髭を付けている事がファラオの特徴と言え、このようなことはファラオ以外がしてはいけないとされていた。
ファロス島の大灯台/Large Linghthouse of the Pharos Island <遺跡>
アレクサンドリアの大灯台とも呼ばれており、世界の七不思議の一つとして有名。しかし、フィロンの記した世界の七不思議には数えられていない。 アレクサンドロス大王がなくなって後、アレクサンドリアに拠点を置いたプトレマイオス1世はこの地が平坦で、目印がないために大灯台を建設して陸標となるものを作る事を決意し建設を開始。プトレマイオス2世の治世に大灯台が完成した。灯台の全高は134mで、頂上には鏡が置かれて日中は日光を、夜間には火を起こして光を反射させていたと考えられている。しかし、その後2度にわたる大地震によって灯台は崩れてしまい、旅行家イブン・バットゥータも崩れていて中には入れないと記している。その後、灯台の崩壊した瓦礫を利用して跡地にカイト・ベイ要塞が建造されると、大灯台は完全に消滅してしまった。しかしこの灯台は世界の七不思議の中ではギザの大ピラミッドに続き存続していた建築物である。
フィリッポス2世/Philippos 2 <人物>
古代マケドニア王でアレクサンドロス大王の父。B.Cv5世紀後期から強国になっていた古代マケドニアの軍制改革を押し進め、古代ギリシアの先進地域であった南部諸ポリスの抗争に積極的に介入した。カイロネイアの戦いでアテナイ・テーバイ連合軍を破ってほぼ全ギリシャに覇権を唱えるとペルシャ遠征を目指したが、暗殺されてしまったため遠征の夢はアレクサンドロス大王に引き継がれた。?
フィロン/philon <人物>
同名の歴史上の人物が多数いるためにビザンチウムのフィロンと呼ばれて区別される事が多い。世界の七不思議を記した人物で現存するのはギザの大ピラミッドのみである。近年の傾向ではバビロンの城壁が世界の七不思議から外され、ファロス島の大灯台が数えられる事もある。
フェニキア文字/A Phoenician alphabet <用語>
およそ3500年前にシリアを中心に活動していたフェニキア人が使用していた文字とされ、ギリシャ文字、アラビア文字、アラム文字、ヘブライ文字はフェニキア文字から派生した文字とも言われており、その歴史的重要度は高い。使用されていた当時は石に刻まれることが多かったことから、ルーン文字と同様に角ばった形をしており、直線的だったといわれている。また、文章は右から左へ向かって書かれる事が常であったが、折り返して左から右へかかれることもあった。これらの文字はフェニキア人の遺跡であるカルタゴやビュブロスから多数発見されている。
フスタート/Fstart <遺跡>
641年イスラム軍によって現在のカイロ市南郊に首都として作られた。当時は行政の中心地としてではなく、アジアとアフリカ、ひいてはヨーロッパを結ぶ商業やイスラム教の中心地として栄えた。後になってファーティマ朝がエジプトを支配するようになると、カイロの建設を開始して首都と定めたがフスタートは依然として商工業の中心地であり続けた。 しかし、エルサレムに侵攻した十字軍がラテン王国を樹立し、エジプトに攻め寄せるとカイロ攻略の足がかりとなるのを恐れたためにフスタートは放棄・破壊された。その直後、サラーフ=アッディーンがアイユーブ朝を創始し、フスタートの再建を進めた。それによって急速にもとの繁栄を取り戻したが、1300年代にペストの大流行に見舞われたためフスタートの大半はそのまま放棄された。それから近代まで利用される事はなかったが、カイロの都市拡大に伴ってオールド・カイロの地域として再建され、現在では大勢の人々が暮らす地域となった。
フスハー/Fusha <用語>
アラビア語の文語であり、共通語として存在している。日本で言えば標準語。各地方の諸方言の事をアーンミーヤという。アーンミーヤはそれぞれが意思疎通の困難なほどの差を生んでいる。
プトレマイオス1世ソーテール/Ptolemies <人物>
古代マケドニア王国の将軍で、幼少の頃よりアレクサンドロス大王のヘタイロイとなるべく育った。アレクサンドロス大王の東方遠征の際に従軍し、帝国内でも重要な地位に就いていたプトレマイオス1世はエジプトの総督に就任し、アレクサンドロス大王の死後はエジプトにディアドコイの一人として割拠、ヘレニズム王国であるプトレマイオス朝を樹立した。また、アレクサンドロス大王の遺体をバビロンから奪い取り、アレクサンドリアにてミイラにして埋葬したり、後にアレクサンドロス大王伝を書き記すなど忠誠を尽くした。 国政は内政にて政治体制を確立し、外征においては領土を東地中海まで拡張するなど古代エジプトの繁栄を取り戻したため、救済者の称号で呼ばれた。首都アレクサンドリアには王立研究所やアレクサンドリア図書館などを建設し、アレクサンドリアが以後の地中海地方の中心地になる地盤は築き上げた。
プトレマイオス15世カイサリオン/Ptolemies15Caesarion <人物>
プトレマイオス朝エジプト最後の王にしてクレオパトラ7世の子。前47年ローマで誕生した。 父はガイウス・ユリエス・カサエルで、カイサリオン(小カサエル)とも呼ばれた。エジプトに帰国後にクレオパトラ7世とともに王位についた。ガイウス・ユリエス・カサエルが暗殺されて後、クレオパトラ7世とマルクス・アントニウスが結ばれると「諸王の王」と称された。しかしアクチウムの戦いでマルクス・アントニウスが敗れるとクレオパトラ7世はカイサリオンを紅海に方面に亡命させようと画策するが、オクタヴィアヌスによってアレクサンドリアに連れ戻され,処刑された。
プトレマイオス朝/The dynasty of the Ptolemies <王朝>
古代エジプトの最後の王朝としてアレクサンドロス大王の死後、彼の部下であったプトレマイオス1世によって建国されたヘレニズム王国。首都はアレクサンドリアに置かれ、地中海屈指の大都市として発展させた他、ヘレニズム文化の中心地として栄えた。 プトレマイオス朝は代々プトレマイオスと名乗る王と、クレオパトラと名乗る女王によって統治されていたが、一族内での権力抗争が絶えなかった為に廃位、復権が頻繁に起こっていたとされている。最終的にはその内部抗争に介入したローマ帝国によってプトレマイオス朝が滅んでしまうなど、国家滅亡の要因になった。200年以上にわたってエジプトを統一していたが、歴代の王朝に習って血族内での結婚をしていたためにエジプトの血が交わる事はなく、ギリシャ人の血脈を守っていたとされている。歴代ファラオは下記の通り。プトレマイオス1世プトレマイオス2世プトレマイオス3世プトレマイオス4世プトレマイオス5世プトレマイオス6世プトレマイオス7世プトレマイオス8世プトレマイオス9世プトレマイオス10世プトレマイオス11世プトレマイオス12世クレオパトラ7世プトレマイオス13世プトレマイオス14世プトレマイオス15世
プラトン/Plato <人物>
古代ギリシアの哲学者。ソクラテスの弟子で、アリストテレスの師である。アカデメイアという名で学校を開いたため、プラトンとその後継者はアカデミー派と呼ばれ、現在のアカデミーの語源ともなっている。『ソクラテスの弁明』や『国家』等の著作で知られ、現存する著作はすべて対話編という方式を取っており、一部の例外を除けば師のソクラテスを主要な語り手としている。初期の頃には徳をはなにか、を主題にした話題を展開していたが、中期には現実の世界と、目に見えない真実の世界が存在するとしてイデア論を展開した。
フランス共和国/French Republic <国>
ヨーロッパに位置する国で安全保障理事会常任理事国である。ヨーロッパの多くの国と国境を接しており、ベルギー、ルクセンブルク、ドイツ、スイス、イタリア、モナコ、アンドラ、スペイン、オランダなどである。また一般には知名度が低いもののフランスは南アメリカに飛び地として領土を保有しており仏領ギアナという。そちらではブラジル、スリナムと国境を接している。 歴史的には古くはガリアと呼ばれており、カエサルによって共和制ローマの属州となった。西ローマ帝国が滅亡してからはゲルマン系民族のフランク族によってフランク王国として独立し、カール大帝の時代には勢力を最大に伸ばしてローマ教皇より、ローマ皇帝の称号を与えられるほどであった。カール大帝の死後は帝国が3つに分断し、その中の西フランク王国が今日のフランスに当たるとされている。その後近代に入り、世界各地に植民地を保有していたものの各地の植民地独立によって、現在の領土まで縮小した。 地理的には3つの気候に分けることができ、南側は地中海性気候、西側は海洋性気候、それ以外の部分においては大陸性気候となっている。
プロイセン/Prussia <地域>
以前存在していた地域名、国。現在は存在していない。西はポンメルンでドイツに接し、東はメーメル川でポーランド・リトアニアに隣接している。プロイセンの地域はヴィスワ川で東西に分割されている。住民は第2次世界大戦時にそのほとんどがドイツに移住し、現在ではドイツ社会に溶け込んでいるが、国境であるオーデル・ナイセ線に意義を唱える人もいる。そのプロイセンの領土はロシアとポーランドによって分割統治されている。 キリスト教が布教してきた頃、この地域の人々は教化されなかったためにドイツ騎士団が弾圧支配し、キリスト教化を図った。激しい抵抗の中、ようやくプロイセン地域はキリスト教化に成功しドイツからの移民を受け入れるなどの体制を整えたために繁栄を始める。しかしこの後、ポーランド・リトアニア軍との戦争に敗北したため東プロイセンを除く全ての領土を失ってしまう事になり、和約したもののポーランドの封建臣下となってしまった。 この後、ホーエンツォレルン家の台頭によってドイツ騎士団は解体され、プロイセン公国が創始される。その後、ポーランド国王によってプロイセンの共同統治が承認されるが、ポーランドはロシアとの戦争によって弱体化、プロイセンの自立化が進む結果となってしまった。 結果としてプロイセンは公国から王国へとなり、独立。大国への足がかりをつかむと共にスウェーデンからポンメルンを奪回するなど、勢力を拡大して行った。その中で、プロイセン国王はドイツ皇帝になる機会を得て、ドイツ皇帝として即位。この時点においてドイツにプロイセンが事実上併合されてしまう結果となった(名目上プロイセン王国は存在)。この後、第1次世界大戦、第2次世界大戦によってドイツが弱体化するとプロイセンは他国に分割されてしまった。その結果としてようやく名目上のプロイセン王国も解体宣言を出すなどの処置が行われる事となった。
プロイセン学派/Prussia school <用語>
1800年代のドイツにおいて、当時のドイツの統一プランの一つであった小ドイツ主義の中でもプロイセンを中心としたドイツ統一を提唱していた歴史学派である。この学派の中心人物にドロイゼンがいたといわれている。
プロクロス/Plocros <人物>
ギリシャの幾何学者であり哲学者。アカデメイアの学頭に若いうちに就任し、亡くなるまでその地位にとどまったとされている。その著書には「プロクロスの摘要」がある。
プロクロスの摘要/A summary of Proklos <書物>
本来の名をユークリッド原論論第一巻注釈といい、エウクレイデス以前の幾何学の発展を伝える唯一の文献といわれている。しかし、ある条件から推測するにプラトン主義に反するものはこのリストには含まれなかったと考えられている。
プロテスタント/Protestantism <用語>
カトリックから分離した教派を源流にする様々な教義、習慣をもつキリスト教の多くの教派の総称。主には福音主義を唱えた教義を持っている。プロテスタントに分類されるそれぞれの教派の中には、教義が異なるだけではなく、それぞれの教派の間に交流すらないケースもある。主に東ヨーロッパを中心に信仰されている。
ペスト/Bubonic Plague <用語>
人体にペスト菌が進入する事によって感染する病気で、齧歯類によく見られる。その他、猿や猫、兎などにも感染することが確認されている。14世紀のヨーロッパでは史上最大のペスト流行が見られ、人口の約1/3が死亡するという大惨事になった。かつてはこのように高い死亡率であったことや、特に皮膚に感染したペストでは皮膚が黒ずんでしまうことなどにより、黒死病として恐れられた。 現在では、治療を受けたりワクチンを注入することで殆どの場合は回復するが、肺に感染した場合に限り2.3日で命をおとすと言われている。この場合は100%に近い死亡率である。予防策としては、ノミやダニなどを駆除することや、ペスト菌を保有している人の体液に触れないことなどがあげられる。
ヘタイロイ/Hetairoi <用語>
古代マケドニアにおいて、王を守るための側近騎馬隊将校のこと。
ベッソス/Bessus <人物>
アケメネス朝ペルシャのバクトリア総督。古代マケドニア軍と会戦するに際してダレイオス3世によって招集された。しかし、大軍を擁しながらも相次ぐ敗戦を重ねたダレイオス3世を仲間と共謀して暗殺し、自らの監督地であったバクトリアに戻りペルシャ王を名乗る。しかし、ダレイオス3世の遺体を見つけたアレクサンドロス大王の追撃を受けて不義不忠の罪として鼻と耳をそぎ落とされ、ダレイオス3世の殺害された場所に磔にされた。
ヘブライ人/Hebrew <用語>
ユダヤ人とも。詳細についてはユダヤ人を参照。
ヘリオポリス/A helio police <地域>
現在のカイロの周辺に存在した古代エジプトの都市で、太陽の町という意味である。ヘリオポリスを現在の地図に対応させるとカイロ市街の高級住宅地区に当たる。
ペルシャ/Persia <用語>
ペルシャは現在のイランの地に昔存在していた国家を示しているとされる。厳密にはイランのファールス地方のことである。以前、イランは外国からペルシャの呼び名で呼ばれていたが、1930年代にイランに統一され現在ペルシャという呼び名は、イランの特産品や文化に対して使用されている。
ペルシャ語/Persian <用語>
インド・ヨーロッパ語族に属する言葉で文章にしたときには右読みである。イランでは公用語に指定されており、その周辺諸国でも日常的に使用されている地域がある。現在のペルシャ語は古代のものとは大きく違い、アラビア語からの借用語なども多くかなりの隔絶があると考えられている。
ペルシャ湾/Persian Gulf <用語>
イラン、イラク、クウェート、サウジアラビア、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦、オマーンに囲まれた細長い形状の湾。ホルムズ海峡を通じ、オマーン湾(アラビア海)と繋がっている。石油の産出地多くの油田が存在している油田地帯として有名。また産出された石油輸送のための重要な水路であるために、戦略的重要性から国際政治の係争地となりやすい。その例として挙げられるのが湾岸戦争であり、この湾とは、このペルシア湾を指している。流入する大河はシャッタルアラブ川のみとなっている。?
ヘレニズム/Hellenism <用語>
ギリシャ人(ヘレネス)に由来する言葉で、ギリシャ風という意味合い使用される事が多いが、転じてギリシャ文化全体を指す言葉としても利用される。ドイツの歴史学者ドロイゼンによってヘレニズムという概念が作られたといわれている。 一般的には、古代マケドニアのアレクサンドロス大王が東方遠征した際に伝播したギリシャ文化が、オリエント文化と融合してできた東西統合文化のことや、またその史的展開の事を指す。アレクサンドロス大王の死後、そのヘレニズム文化を受け継いだ国家がアンティゴノス朝マケドニア、セレウコス朝シリア、プトレマイオス朝エジプト、アッタロス朝ペルガモンなどに当たる。このほかにも、その後上記王国を統一したローマ帝国もヘレニズム文化を受け継いでおり、古代ギリシャの文化が広く地中海地方に影響を与えた事を示している。
ヘレネス/Hellenes <用語>
一般にはギリシャ人を指す言葉とされており、ヘレニズムの由来ともなった。
ヘロドトス/Herodotus <人物>
古代ギリシャの歴史家で歴史の父とも呼ばれている。小アジアの出身である。エジプトはナイルの賜物。というのはこの人物の言葉である。ペルシャ戦争の後に諸国を遍歴して「歴史」(全九巻)を記し、古代ギリシャ、古代ペルシャ、古代エジプトなどの各地の事物をまとめた。これらの情報はヘロドトスが実際に見聞きした事が情報の元になっておりギリシャ人の立場から物語的叙述で記した、ストーリーのある読み物として書き上げた。「歴史」はヨーロッパでも最も古い書物として有名であり、現代でも古代ギリシャ、オリエント、古代エジプトの各歴史を知る上でも重要な書物として位置づけられている。 後世、アテナイの歴史家であるツキディデスが記した「戦史」は、実証的な文章で歴史を記載している事から、対比的に見られることが多くなった。
ホーエンツォレルン家/House of Hohenzollern <家>
ドイツのシュヴァーベン地方に発祥した貴族で、王家となり、後に皇帝家ともなった。1525年にプロイセンを治めていたドイツ騎士団を廃してプロイセン公国を建国すると、プロイセン公となった。途中子孫が絶えてしまうという事態が起きたが、30年戦争ではフリードリヒ・ヴィルヘルムを指導するなど功績を立てた。スペイン継承戦争ではハプスブルグ家に味方する見返りとしてプロイセンの王を名乗ることが許されたため、戴冠してプロイセン王国を樹立。以後は着々と勢力を伸ばしてドイツとプロイセンの統一に成功した。しかし、そのドイツ帝国も第一次世界大戦時において大敗し、当時のドイツ皇帝であったヴィルヘルム2世が亡命することで、ホーエンツォレルン家は歴史の表舞台から消えることとなった。現在、ヴィルヘルム2世の子孫はドイツで生活しており、現当主はゲオルク・フリードリヒである。
ポーランド共和国/Republic of Poland <国>
ヨーロッパに位置する国で周辺にはドイツ、リトアニア、ベラルーシ、ウクライナ、チェコ、スロバキアがあり、北にはバルト海が広がっている。国民の大多数がカトリック教徒であり、ポーランド初の教皇ヨハネ・パウロ2世は絶大な人気を誇ったが、現在は急激に宗教に対する関心が低下してきているという。 多くの国と陸続きであり、平坦な地形であるために長年にわたって多くの戦争に巻き込まれ、国境が絶えず変化してきたという特徴を持っている。一時期にはリトアニアと合併し連合王国となっていたこともある。第一次世界大戦後には民族自決に従って国土が回復したが、ドイツ、ソ連の侵攻によって国土が2つに分割され消滅、第二次世界大戦後に再び復活した。しかし、その国土は以前よりも大きく西に移動したものとなっていた。冷戦時には社会主義国家となっていたが、その後資本主義化し、現在アメリカとは友好な関係を築いている。
ポリス/Porice <用語>
ポリスというのは古代の都市国家の総称であるが、特に古代ギリシャの事を指す事が多い。元々は丘の上に作られた城砦の事を指していたが、次第にその城砦の周辺を含める都市全体を指す言葉に変わった。代表的なポリスとしてはアテナイやスパルタなどが挙げられる。
ホルエムヘブ/Holemheb <人物>
アメンホテプ3世から使えた古参の将軍である。アイの死後に適当な後継者がいなかったために即位した。アクエンアテン以降の4代のファラオを歴史から抹消し、自らはアメンホテプ3世から直接王位を継承したこととした。 治績においては、神官団に脅かされていたファラオの権威を回復し、神官団を権力下に収める事に成功した。その他に腐敗していた政治を建て直し、軍隊を改革し、悪徳に対して厳格な処罰を行うなど数々の功績を残した。
ホロコースト/Holocaust <用語>
用語そのものは虐殺を意味するものではないが、映画「ホロコースト」の衝撃的な影響を受けて主にナチス党ドイツによるユダヤ人の大量虐殺を指すようになった。映画が発表される前はジェノサイドという言葉が定着していた。 本来はドイツ領土内からユダヤ人を大量に移住させる民族抹消が目的であったが、戦況の悪化と輸送地域の消失、もしくは輸送ルートの確保失敗によって強制収容所に送り込むようになった。その後は労働力として生産活動に従事させる他、労働力にならない人間を殺戮したものと考えられている。実際に非人道的な殺戮が実行されたかどうかは様々な理由から意見が二分化しているものの、強制収用され、その先でユダヤ人や周辺民族が病死、過労死していることは事実であると考えられている。有名な映画には2000年「ホロコースト」2002年「戦場のピアニスト」などがある。
ポンメルン/Pommern <地域>
ポモージェともいい、ポーランド北西部からドイツ北東部にかけての地域を指す。東西をオーデル川とヴィスワ川に挟まれた地域であり、古くはスラブ系の民族が居住していたが、スウェーデンやデンマーク、ドイツなどの国家間で争奪がしばしば起こっていたため多くの人々が混血した。現在はオーデル川以東がポーランド領、以西がドイツ領となっている。 また、犬の品種であるポメラニアンはこの地域が原産であり、また世界の琥珀の90%近くがこの地域の海岸で産出されている。