エジプト関連辞書(か行)

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カースト制度/caste <用語>
ヒンドゥー教の身分制度の事で、大きくは4つの階級に分かれているとされている。それぞれを、バラモン、クシャトリア、ヴァイシャ、シュードラというが、それぞれの中でもさらに細分化される。カーストという単語はポルトガル語のcastaから来ており、本来は血統を意味していた。血統という言葉の示すとおり、基本的にはカーストの移動は認められず、また親のカーストは子にも引き継がれるとされ、さらに結婚相手も同じカーストの階級同士で行われる。インドの法律上では現在、カーストを禁止しているが民衆の中にはカーストの概念、名残が色濃く残っているため実質的にはカーストは存在しているといえるだろう。

カアバ神殿/Kaaba shrine <建造物>
マッカのマスジド・ハラームの中心地にある建造物で、ジャーヒリーヤから存在している神殿である。ジャーヒリーヤでは当時360体もの神の偶像を祭っており、その中の最高神であるアラート神は黒曜石の御神体であらわされていた。この石は月からの隕石と長年信じられており、現在もカアバ神殿の東南角に丁重にはめ込まれている。

ガイウス・ユリウス・カサエル/Gaius Julius caesar <人物>
古代ローマにおける最大の軍人、政治家とされ、文筆家としても有名な人物である。英語ではJulius Caesarとも呼ばれており、テオドール・モムゼンには、「ローマが生んだ唯一の創造的天才」と称された。 異例の若さで共和制唯一の終身職である最高神祇官に当選したカサエルは、ポンペイウス、クラッススと共に三頭政治を確立し、当時強大な政治力を持っていた元老院に対抗した。その後、ガリア戦争に出発したカサエルはガリア全土をローマの属州として統一する事に成功し、大きく名声を高める事となった。尚、この時の戦争の様子は彼の著作であるガリア戦記によって紹介されている。 カサエルがローマに戻った時には、三頭政治の一角であるクラッススが戦死していたために三頭政治が崩壊した。同じく一角をになっていたポンペイウスは元老院に取り込まれていたために、カサエルと対立する事になる。これに対してカサエルは内乱を起こし、ローマを制圧。ポンペイウスは自領であるギリシャに逃げたために追撃をかけた。ギリシャを制圧後もポンペイウスはエジプトアレクサンドリアに逃亡を続けたため、カサエルアレクサンドリアに向けて発つ事になる。アレクサンドリア到着後にポンペイウスの死を知ったカサエルエジプトの後継者争いに介入し、クレオパトラ7世を助ける事によってエジプトを統一し、小アジアを破ってローマに凱旋した。 ローマに凱旋したカサエルは5年間の独裁官に任命される。これによって共和制ローマの改革を実行に移したカサエルは元老院への権力の集中を妨害し、自らが終身独裁官に就任する事によって権力の強化を図った。しかし、これらの政策は元老院の反発を買い、カサエルは暗殺されてしまう。

階段ピラミッド/Stairs pyramid <遺跡>
エジプトで最初に建造されたピラミッドで、宰相であるイムホテプが立案したものだとされている。この当時の王はジェゼル王で、ピラミッドサッカラに建築された。また、建築物全体を石造にすると言う事などもエジプト史上初めての試みであった。 階段ピラミッドは高さ62メートルあり、単なるピラミッド単体としてではなく、周囲には様々な施設が付随していたとされている。倉庫や王宮、葬祭殿に神殿など多くの施設が併設されていた。この建築より、後世のエジプトでは盛んにピラミッドが作られるようになったといわれており、エジプトの建築、宗教観において大きな影響を与えたと考えられる。

カイト・ベイ要塞/Kitebay Fortress <遺跡>
この要塞は世界の7不思議に記録されているファロス島の大灯台が崩壊した後に、その瓦礫を再利用して作られたといわれている。現在、アレクサンドリアにて大勢の観光客で賑わいをみせている。

カイロ/Cairo <都市>
エジプトの首都であり、アフリカ中東地域においていずれも最大の人口を有する都市である。ファーティマ朝によってナイル川河畔の要衝に建設された都市で、中世からのエジプトの首都として栄えた。しかし、建設当初はフスタートが交易の中心地として栄えており、カイロはその後のアイユーブ朝の政策によって発展した。アイユーブ朝のサラーフ・アッディーンカイロ周辺にシタデルと呼ばれる城砦を建設してフスタートを取り込む形で都市を南に拡大した。この事業はアイユーブ朝に続くマルムーク朝によって完成し、交易によってカイロは繁栄を極めた。各王朝のスルタンやアミールによってカイロの旧市街と呼ばれる歴史的建造物の数々が盛んに建設され、現在では世界遺産に登録されている。 しかし、その繁栄も長くは続かずにエジプトがオスマン帝国に支配されると政治的な重要性も失われかつての活気は消えてしまう。しかし、その後に続くムハンマド・アリー朝によって再び活気を取り戻し、旧市街の西側に新市街を建設するなど、都市の近代化が進められた。現在もカイロにはアズハルモスクなどを初めとする貴重な歴史文化財が多く残されている。姉妹都市にアメリカのニューヨーク、スーダンのハルツーム、トルコのイスタンブール、ドイツのシュトゥットガルドなどがある。

ガウガメラの戦い/War of Gaue moth Mera <用語>
古代マケドニア軍とアケメネス朝ペルシャによって行われた会戦で、主戦場はチグリス川近郊のガウガメラ平原で行われたとされている。戦闘開始後にアレクサンドロス大王率いる一隊は後方へ下がったため、ダレイオス3世も軍の一隊を割いてベッソスを追撃に当たらせた。後方に下がったアレクサンドロス大王は敵軍の布陣に空白があるのを確認するとそこを突いて急襲を仕掛け、ダレイオス3世目掛けて槍を投げつけた。結果として槍は当たらなかったが、ダレイオス3世はこの事によって兵士も何もかもを投げ捨て逃走したため、古代マケドニア軍の勝利となって終わった。この後、古代マケドニア軍はバビロンを占拠したと言われている。

カタール国/State of Qatar <国>
中東西アジアの国。首都はドーハ。アラビア半島東部のカタール半島のほぼ全域を領土とする国。ペルシア湾に面しており、南はサウジアラビアと接している。経済は石油、天然ガスに大きく依存する形であり、輸出のほとんどがその関連商品で占められている。

カトリック/Catholicism <用語>
キリスト教内での最大教派で、ローマ教皇を中心として10億人以上の人々が信仰している。プロテスタントとは違い、カトリックはローマ教皇を中心として枢機卿団が存在し、その下に司教、司祭、助祭が存在しカトリック全体を一つにまとめる働きをしている。西ヨーロッパを中心としてアメリカ大陸に広く分布し、その他にはアフリカ大陸、東南アジアに信徒を持つ。

カナン/Canaan <用語>
地中海、ヨルダン川と黒海に囲まれた地域の古代の地名で、文献には最も古いものでB.C3000年頃に登場する。旧約聖書には「乳と蜜の流れる場所」と記されており、アブラハムが神によって与えられた土地として記されている。そのために約束の地とも呼ばれ、ユダヤ教を初めとして多くの宗教の重要な地域となっている。また、現在のカナンに関する知識の多くは1928年に発掘されたウガリットという都市からもたらされた。

カノポス容器/Kanopos container <道具>
エジプトにおいてミイラ生成の時に取り出された内臓を保管しておく壷。再生・復活を祈るエジプト人にとってミイラ作りは非常に重要な意味を持っていたと考えられている。そのため、再生に必要な心臓はカノポス容器に収められず、そのまま遺体の中に取り残されていた。

カフラー/Kafra <人物>
父はクフ王、兄は2人いたが早世だったためにジェドエフラーの次に王位に就いた。子はメンカウラー。ギザの台地にクフ王に並ぶ大きさのピラミッドを建造したことで有名。兄が早世したためにファラオの位に登ったが、当時は若かったと思われる。名は「ラーの如く出現する者」を表している。

ガマール・アブドゥル・ナーセル/Gamal Abdel Nasser <人物>
エジプト・アラブ共和国の2代目大統領。先任はムハンマド・ナギーブ、後任はアンワル・アッ=サーダートである。1918年にアレクサンドリアで生まれたナーセルは、オスマン帝国から独立し、次いでイギリスの保護国となったエジプトの解放運動などに若い頃から興味を示したといわれている。陸軍士官学校を卒業後は自由将校団の指導者となり第一次中東戦争に参加、その後はエジプト革命を経て王政を廃止、ナギーブが大統領に就任すると、ナーセルとの対立が表面化した。 ナギーブを支持するムスリム同胞団による、ナーセル暗殺未遂を経てナギーブを大統領より解任し、ナーセルが自ら大統領に就任した。汎アラブ主義を軸にした外交を行い、1956年にはスエズ運河の国有化を宣言。第二次中東戦争においてその承認を得た。しかしその後はシリアとのアラブ結束を目標にした連合が3年で解消、第三次中東戦争において惨敗するなどナーセルの威信が揺らぎ始め、辞任を表明。しかし、国民の支持は厚く、辞任は許可されなかった。この後はイスラエルに対して断固とした対応を推し量るも、多忙を極める中で心臓発作で急逝した。1970年のことである。

カリフ/Caliph <用語>
アラビア語でkhalifaといい、ムハンマド亡き後のイスラーム共同体、イスラム国家の指導者の称号である。カリフの原義は「代理人」を意味し、イスラムの教えを守り、尊ぶ事を推奨する存在であった。そのために、イスラムの教えを独善的に改定することなどは出来ず、そういった権限はもっぱらウラマーの合意を必要とするものであった。1代目カリフはアブー・バクルであり、その後も血統を問わず受け継がれたが5代目カリフであるムアーウィヤが実質的な世襲制を開始したためにハワーリジュ派、シーア派などはカリフの権限を否定して分派する結果となった。 そうした中で、アッバース朝はモンゴル帝国の攻撃を受けてカリフを失い、連綿と続いてきたカリフの歴史は一旦幕を閉じる事になるが、3年後に生き残った一族を擁立してカリフとした。しかし、オスマン帝国によってアッバース朝が滅ぼされるとカリフはイスタンブールに連れ去られ、再びカリフは終焉を迎えた。その後も何度かカリフの復権が行われるようになるが、その度に広く一般に普及しなかったため長続きせず次第にカリフという地位は失われるようになった。

カルナック神殿/Kalnac shrine <遺跡>
テーベ近郊、ルクソール神殿より3キロほど北にある古代エジプト最大の神殿遺跡でイプト・イスウトと呼ばれていた。中王国時代より2000年以上にわたって増築、破壊、改築、改修を繰り返されてきてやがてはエジプト最大の神殿へと成長した。カルナック神殿は日干し煉瓦の外壁によって3つに区分する事ができる。 中央の最も巨大で保存状態の良い部分をアメン神殿群といい、その中にも様々な神殿が存在している。その北側に位置するのがメントゥ神殿群、南側がムート神殿群である。これらの神殿はそれぞれナイル川まで運河によって結ばれており、さらにはアメン神殿からムート神殿、ルクソール神殿まではスフィンクスの参道によって繋がっている。神殿は当時テーベを首都として定めていた王朝が、アメン神をまつるために建設したものであり、これらの神殿群はその当時の様子や歴史的背景を知るための価値も高く、美術的な観点以外からも注目を集めている。

漢方薬/Chinese medicine <用語>
中国の伝統的な医学である漢方医学に基づいて複数の生薬をあわせて処方する薬。中国、韓国、日本でよく使用されており、中国では「中薬」。韓国では「韓方」である。 生薬であれば何でも漢方薬だと勘違いする人がいるがそれは間違いであり、近代以降は生薬以外にも合成薬品を含んでいる場合が多くある。また日本では漢方が独自の発展を遂げたために、中国では通常行われない組み合わせでの処方が行われるようになるなど、様々な変化がある。漢方薬の中にはミイラを粉末にした成分が入る場合もある。

ギザ/Giza <遺跡>
エジプトの有名な観光地である三大ピラミッドが建設されている都市で、カイロの南西20Kmに位置している。巨大なカイロ市街に内包されるような形で建設されているが、行政上はギザ県の県都である。古来からカイロとは密接な関係にあり、有力者達が多く周辺に居住するなどの土地柄がある。ピラミッドが築かれている台地は周辺の土地と比べて地面が岩盤で覆われているため巨大な建築物を建造するのに勝手が良かったと考えられている。

ギザの大ピラミッド/Great Pyramid of Giza <遺跡>
エジプト史上最も大きなピラミッドが3つ建設されている。観光地としても有名であり、3つのピラミッドで最も大きなものはクフ王のピラミッドである。世界の七不思議にも記載されており、その中で唯一現存する貴重な建造物といえる。 古王国時代に建設されたピラミッドであり、このピラミッドが建設されていた当時は規模、技術共に最高水準であったため、ピラミッド時代とも呼ばれている。語源は古来から食されてきたピラミスというパンに由来すると言われ、古代エジプトではメルと呼ばれていた。

北アフリカ/North Africa <地域>
サハラ砂漠より北の地域を北アフリカと分類する。マグリブ地域のみを指す場合にこの語が用いられることが多い。アラビア語が使用されて中東との交流が多いために、地理的に近いエジプトやリビアを中心に中東の一部として定義されることもしばしばある。例外としてエジプトシナイ半島は普通中東として扱い、アフリカ及び北アフリカには含めない。

キヤ/Kiya <人物>
アメンホテプ4世の愛人とされ、ツタンカーメンの実の母と呼ばれている人物。しかし、詳細は不明な点が多く残っている。’06年には86年ぶりにエジプト王家の谷で墓が発掘された事をきっかけに注目され、現在新しく発見された墓はキヤのものではないかという説が有力になっている。

ギリシャ共和国/Hellenic Republic <国>
英語では通称Greeceと表記される。ヨーロッパの南東、バルカン半島の南端に位置していてペロポネソス半島とエーゲ海を中心とした島嶼によって形成されている。アルバニア、マケドニア、ブルガリア、トルコと国境を接しており、それ以外の部分は地中海、エーゲ海、イオニア海によって囲まれている。ギリシャは西洋文明の発祥地として知られ、ヨーロッパはもちろんの事、アフリカアジアにも大きな影響を与えたとされている。現在は国際連合、EU、NATOに加盟している。 古代ギリシャ時代ではポリスと呼ばれる都市国家が多数存在し、民主主義の原点ともいえる政治体制を布いていたが、ペロポネソス戦争をきっかけにギリシャそのものの国力が低下したため、古代マケドニア、ローマ帝国の支配を受けた。ローマ帝国崩壊後は東ローマ帝国に属し、支配階級の多くをギリシャ人が占めるなど東ローマ帝国の政治に積極的に参加していった事が伺える。しかし十字軍によってコンスタンティノポリスが陥落すると東ローマ帝国は崩壊してしまう。その後1度復興を成し得たが新政権の地盤は弱く、オスマン帝国によって支配されてしまう結果となった。その後400年以上もの間オスマン帝国の支配が続いたが1821年にギリシャ独立戦争が勃発。ギリシャ各地でオスマン帝国オスマン帝国に対する反旗が翻された。それに対してオスマン帝国はエジプトの助力を得て鎮圧を試みるが、イギリスフランス、ロシアなどが介入してきたため結局ギリシャの独立は認められギリシャ王国として独立を果たした。 希土戦争、バルカン戦争などを経て、クーデターが起こり一旦共和制が布かれるものの、しばらくの後王政が復活。その後第二次世界大戦ではドイツ、イタリアに占領されたが戦争終結後には独立国家としての体勢を取り戻した。アメリカの支援を受けて軍事独裁政治が布かれ国王は亡命したが、キプロスでのクーデターをきっかけにして軍事政権は崩壊、国民の投票によって共和制の道をとることが決定された。主な宗教は東方正教会に属しているギリシャ正教会だが、クレタ島だけはコンスタンティノポリス総主教会の管轄に属している。世界遺産の登録件数は16件であり、オリンピック発祥の地としても知られている。

ギリシャ語/Greek <用語>
ギリシャ、キプロスなどで公共語として指定され、イタリアやイスタンブール等の地域でも使用されている言語。インド・ヨーロッパ語族に属しておりラテン語同様学術用語としても利用されている。古くは諸ポリスで使用されたほか、プトレマイオス朝東ローマ帝国などでも利用された。現在ギリシャ語を習うときには主にアッティカ方言と呼ばれるギリシャ語を習う事になる。

ギリシャ人/Greek <用語>
古代でいうギリシャ人とは、ギリシャ語を話す自由民の事を指した。ギリシャ本土に止まらず、小アジアヨーロッパの各地にギリシャから移住した者の手によって建設された植民市の住民も含み、総合してギリシャ人と呼ぶ。彼ら自身はヘレネスと自称し、他者をバルバロイと区別して呼んでいた。後に古代マケドニア王国のアレクサンドロス大王の大帝国建設などを経て、マケドニア地方出自者などまで含めて、広く中央アジアから地中海世界の各地にまで広がったギリシャ語を常用するものをも指すように転じた。しかし、中世、近代と進むうちに様々な民族と混血になったり、ギリシャ化した他民族やローマ化、キリスト教化したギリシャ人などが多くいたため、古代のギリシャ人という表現を用いる事は出来なくなってしまった。しかし、ギリシャとトルコ間で行われた住民交換協定によって国外に居住していた多くのギリシャ人ギリシャ国内に移住したために現在ではギリシャ人とは母国がギリシャである人間を指す言葉として定着した。

ギリシャ文字/Greek characters <用語>
古代のギリシャ人が母国語を表記するために作成した文字である。フェニキア文字を元にして作られ、ラテン文字はこのギリシャ文字を元にして後世になって作られた。現在でもギリシャ文字ギリシャ語の表記に使用されるほか、自然科学を初めとする様々な分野で利用されている。

キリスト/Christ <用語>
「油を注がれる者」という意味で、救世主を指す言葉である。ナザレのイエスキリストと信じる宗教が現在のキリスト教である。

キリスト教/Christianity <用語>
世界三大宗教の一つとして有名で、その中でも最大の教徒数を誇っている。ナザレのイエスを救世主と信じて、旧約聖書及び新約聖書のイエスや使徒たちの言行に従う宗教である。キリスト教の宗派にはカトリックプロテスタント、ギリシャ正教会、東方諸教会などがあり、東方諸教会の中には歴史上で異端視された宗派なども含まれている。そのほか、原始キリスト教と呼ばれる前述の宗派の前身となった宗教も存在している。 キリスト教の聖典となるものは、新約聖書のほかに、ユダヤ教の聖典でもある旧約聖書が含まれ、唯一の神を信じる一神教の宗教である。

キリスト教徒/A Christian <用語>
キリスト教の信徒のこと。キリスト教はいくつかの教派に分かれてはいるが、その中でもイエス・キリストが神であると信じ、その教えを守る者がキリスト教徒と定義する事が出来る。クリスチャンとは同意義語で、元々はイエス・キリストの使徒の名誉を傷つける言葉として使用されていた。しかし、長い年月を経て現在の意味に変化していった。

クウェート/State of Kuwait <国>
中東における立憲君主制の国家で、元々はイラクの一部だった地域をイギリスが分割統治していたものが起源と言われている。現に湾岸戦争前後から、イラクのフセイン大統領は、クウェートイラクの領土であったものをイギリスが不当に分離させ、現在はアメリカがそれを受け継いでいるといった主張を繰り返している。国内のほとんどの人がイスラム教徒であり、公用語はアラビア語である。石油埋蔵量が豊富で、イラクサウジアラビアと国境を接している。

崩れピラミッド/A break pyramid <遺跡>
スネフル王が最も最初に築いたピラミッドとして有名で、他のピラミッドとは違い、大半が崩れてしまっており、途中まで四角柱状に建設されている。このピラミッドに関しては完成していないのでスネフル王の建設したピラミッドとして数えないという意見もあれば、そもそも四角錐を目指して建設したのではないという意見もあり、様々な見解が示されている。

屈折ピラミッド/A refraction pyramid <遺跡>
スネフル王が2番目に建設したピラミッドで、勾配が地上から49mの地点にて角度を変更し、緩やかになっている。そのために、高さも低くなってしまい、約101mほどであった。 この勾配が変化した理由として挙げられるのは、建設中にスネフル王が病気にかかり、完成を急がなければならなかったためであるとか、重量が大きすぎるために、崩壊の危険性が高かったためである。またはこの形がそのまま目標とされた完成形なのだという説まで様々である。

クフ/Khufu <人物>
スネフル王の息子で、ジェドエフラー、カフラーの父である。クヌム神に護られし者という言葉のクヌム・クフ・ウイを略した名前がクフであるとされ、ギリシャ語ではケオプスと呼ばれる。ギザの大ピラミッドのうち、最大のものを造営したとして知られる。 ヘロドトス歴史には、国民の苦労を省みずに土木事業に専念した暴君として描かれているが、実際には農閑期に職をなくした国民に対する失職手当てであったことが証明されており、暴君であったという記述は見当たらない。

クラウディオス・プトレマイオス/Claudius Ptolemaeus <人物>
古代ローマ時代のギリシャ人天文学者で、エジプトアレクサンドリアで活躍した。数々の著書があるが、その中でも主著とされる『アルマゲスト』では、地球が宇宙の中心にあり、太陽やその他の惑星が地球の周りを回るという天動説を唱えた。

グラニコス川の戦い/War of the Granicus <用語>
現在のトルコ領内を流れているグラニコス川の畔で、B.C334年にアレクサンドロス大王率いる古代マケドニア王国軍2万とダレイオス3世の率いるアケメネス朝ペルシャ軍4万が対峙した会戦である。 数で圧倒的に優位だったアケメネス朝ペルシャだったが、近接戦闘を得意とするギリシャ人傭兵を後方に配置し、軽装で弓が主装備の兵を前面に配置したため、突撃を開始したアレクサンドロス大王の騎兵を支える事が出来ずに敗走を始めた。その中で多くのギリシャ人傭兵は降伏したが許されず、アレクサンドロス大王は攻撃命令を続行。ギリシャ人傭兵のほとんどが戦死する結果となった。この戦いでアレクサンドロス大王ダレイオス3世の娘婿であるミトリダテスを討ち、小アジアのほとんどを制圧した。しかし、ミレトスに駐屯していたペルシャ艦隊だけが降伏せずに反抗を続けたため、陸軍でペルシャ艦隊の拠点を奪い無力化させるという戦法でアレクサンドロス大王は勝利を収めた。

クリスチャン/Christian <用語>
日本語で、キリスト教徒という意味である。元々はイエス・キリストに従う使徒の名誉を傷つける意味合いで使用されていたものが今日に至る歴史の中で変貌し、キリスト教を信じる人を指す言葉となった。

クルアーン/Qur’an <用語>
イスラム教の聖典を指す。開祖であるムハンマドに対してアッラーが下した啓示であり、ムハンマドの死後にまとめられた現在の形は全てで114章となっている。アル=クルアーンともいい、「朗唱されるもの」を原義とする。現在のアラブ諸国の中には、不文憲法としてクルアーンを採用している国もいくつかあり、イスラム世界において絶対的な位置づけとなっている。

クレオパトラ7世フィロパトル/The seventh Cleopatra <人物>
古代エジプト最後のファラオで、プトレマイオス12世の娘。クレオパトラはギリシャ語で「父の栄光」を意味している。 プトレマイオス12世の崩御を受けてファラオに即位したが、後に弟であるプトレマイオス13世と結婚し共同統治を行うようになる。しかし、共同統治に納得のいかないプトレマイオス13世に追放されると、ポンペイウスを破ってエジプトに入っていたカエサルと密会を重ねてプトレマイオス13世を攻撃し、ナイル川にて溺死させた。 この後に、プトレマイオス14世と名目上の結婚を行い共同統治者となったが、実際にはクレオパトラ7世による独裁統治であった。そんな中、クレオパトラ7世の後ろ盾となっていたカエサルとの間に息子であるカエサリオンをもうけた。カエサルがローマに帰国し、独裁官に就任するとクレオパトラ7世カエサリオンローマ帝国に招聘し、滞在させた。しかし、まもなくカエサルが暗殺されると、カエサリオンをつれてエジプトへ帰国した。 クレオパトラ7世の帰国後、共同統治者であったプトレマイオス14世が死去すると、カエサリオンを共同統治者に指名した。カエサルの後をめぐってオクタヴィアヌスとマルクス・アントニウスが争いを開始するとマルクス・アントニウスを支持して接近し、同盟を組んだ。クレオパトラ7世とマルクス・アントニウスはその後結婚し、間に3人の子供をもうけた。マルクス・アントニウスは自領であるシリア地方には帰還せず、エジプトに滞在し続けたためにローマ帝国市民の反感を仰いでしまいアクチウムの戦いへと発展していく。アクチウムの戦いにてローマ帝国軍に敗れたクレオパトラ7世は毒蛇に体を噛ませて自殺したと伝えられている。

ケオプス/Cheops <人物>
クフ王のギリシャ語読みである。人物についての詳しい情報はクフを参照。

紅海/Red sea <地理>
アフリカの東北部とアラビア半島に囲まれた海で、大地溝帯に海水が入り込んで出来た湾である。北部にシナイ半島アカバ湾がありスエズ運河を経て地中海と繋がっている。南方ではバブ・エル・マンデブ海峡を経てアデン湾と繋がっている。地中海とインド洋を結ぶ重要な航海路である。

古王国時代/In the days of an old kingdom <用語>
古代エジプトにおける歴史区分で、第3王朝から第6王朝までの王朝がエジプトを統一していた時代を指す。この時代は多くのピラミッドが建造されていた時期として有名で、現在でもその多くはエジプトで見ることが出来る。また、国家としてもエジプト揺籃となった時代で、政治、経済、宗教なども統一された後のエジプトを形成する重要な時代と言える。 第3王朝 第4王朝 第5王朝 第6王朝

コーラン/Coran <用語>
イスラム教の聖典であるクルアーンのこと。ヨーロッパでは古くからCoranと呼ばれてきたため、日本でも長い間にわたってコーランという呼び方で呼ばれてきたが、現在では本来の発音に近いクルアーンと呼ばれる事が多くなった。

国家/Nation <文献>
哲学者プラトンの著作。全10巻からなる対話式の文献であり、政治哲学、神学、存在学など多方面において西洋では絶大な影響力を誇っている著書である。元々はアカデメイアの学生の為に作られたものであったが、後世の共産主義などの国家発想に大きな影響を与えた。

国家社会主義ドイツ労働者党/Nationalsozialistische Deutsche Arbeiterpartei <用語>
通称ナチス。ドイツの政党で1920年に結成され第二次世界大戦中は単独与党だった。終戦と共に解散した。1919年にヒトラーが参加する事によって急速な発展を見せる。反ユダヤや国粋主義を唱えて活動を展開し、枠にとらわれない豊かなアイディアで多くの支持を得ると、寄付金や献金などによって党の財政は潤った。徐々に大衆勢力となりつつあったナチスだが、ミュンヘン一揆の際にヒトラー含む党員がバイエルン州政府によって投獄され、党も解散に追い込まれた。しかし、ナチスを支持する気運は高く、多くのダミー団体が活動を展開し存続する結果となった。1925年にヒトラーも解放され、国外に亡命していた中心メンバーも恩赦を受けて帰国し、ナチスは再結成される。再結成後は巧みな政治政策で他を圧倒し、内閣政府を樹立。独裁政治体制を確立し基本的人権を無視し、合法的な独裁体制を取るようになり、ユダヤ人を襲撃するなどの事件が多くおきるようになる。こうした経緯を経て終戦後、敗北したドイツでは人民の支持が無くなり解散する結果となった。

古代アラブ宗教/Ancient arabian religion <用語>
イスラム以前にアラブ世界で信仰されていた宗教の事で、月の神アラートを中心として360体もの神々を崇めるというものであった。カアバ神殿はその宗教上最も重要な場所とされており、黒曜石で出来たアラートの御神体が置かれていた。現在のカアバ神殿南東に今でも御神体が安置されており、その石に触れたものは大変な幸福が得られると信じられている。

古代イスラエル王国/Ancient Israeli kingdom <用語>
古代のイスラエル史にて太祖アブラハムの時代から新バビロニアに支配されるまでの王国を指す。広義ではユダヤ戦争の終結までを指す場合もある。これらの時代を研究するには旧約聖書に頼る部分が多分にあるが、近年の研究や発掘にてその内容が裏づけされている部分もある。 旧約聖書にて登場するアブラハムやヨセフ、モーセなどはこの時代の人々である。エジプトで奴隷として生活していたユダヤ人たちはモーセを中心にして出エジプトを起こす。そして40年に渡ってシナイ半島などを放浪して後、後継者ヨシュアがカナンに定住するようになった。カナンに定住してからのイスラエルではペリシテ人と争うようになり、有能な軍事的指導者であるサウルが族長となった。その後イスラエルは南北に二分し内紛状態が続くが北方の王であるイシュバールがなくなると両国はダビデを王にすることで和解し、両国の中心であるエルサレムを首都に定めた。しかし、ダビデとその子であるソロモンが亡くなると再び南北で争うようになり、国力は急激に衰退した。そのために北方はアッシリアの侵攻を受けて陥落し、南方は新バビロニアの攻撃を受けて滅亡する事になった。

古代エジプト/Ancient Egypt <用語>
古代のエジプト文明を指す、歴史的呼称。世界四大文明の一つで主にB.C30年までのプトレマイオス朝終焉までを指す。もともとはナイル川上流域と下流域で違った文化だったものが統一されて一つの王朝となったために上下エジプトという事が多い。ナイル川が定期的に氾濫したために、上流の豊かな土壌が下流域にもたらされて繁栄した。そのためナイル川がいつ氾濫するのかを調べるために太陽暦が作られた。太陽とオシリスがほぼ同時に空に上る時、ナイル川は氾濫したと言う。また、氾濫によって荒れた農地を元通りに分配するためにも測量法や幾何学が発達し、高度な文明を作るに至った。 アフリカ大陸にありながらも地中海に面していることや、アフリカ大陸中部が山岳によって隔てられている事が起因して、西アジアの文明に近い性質を持っていた。同じく世界四大文明のメソポタミアとも位置が近かった事からも、影響が強かったと考えられている。第1王朝から第31王朝とプトレマイオス朝を合わせた32王朝からなっており、古代エジプトの王朝時代は約3000年ほど続いたとされている。

古代ギリシャ/Ancient Greece <用語>
古代ローマに支配されるまでのギリシャ古代ギリシャと呼ぶ。短期間のうちに高度な文明が築かれ、東西に大きな影響を与えた。ポリスと呼ばれる都市国家が多く存在し、その都市国家の各地で争いが起こり全面的な統一を見ることは無かったが、西はスペイン、フランスからイタリア、東は黒海全域と南はエジプトの一部をギリシャ文化が彩った。また、宗教面ではギリシャ神話がポリスという枠組みを越えて信仰された。後にアレクサンドロス大王によってギリシャが統一され、古代マケドニアとなるが文化としてはギリシャ文化を受け継いでおり、古代ギリシャに含めて考えるのが一般的である。

古代マケドニア/Ancient Macedonia <用語>
紀元前7世紀にギリシャ地方の一部と、マケドニア地方の一部にまたがって誕生した国家のひとつ。古代ギリシャ人の一つである、ドーリア人によって建国されたとされているが、当時のマケドニアギリシャ人にとっては野蛮な人間の住む国として蔑まれていたと考えられている。ギリシャペルシャの間でおきたペルシャ戦争ではペルシャ側として参戦したが、やがてペルシャによるギリシャへの影響力が弱まるとギリシャ諸国との友好を深めた。 そんな中で、ギリシャ国家であるアテナイとスパルタが引き起こしたペロポネソス戦争では、どちらにも参戦せず国力を増強させる事に成功。後にマケドニアギリシャ間で起きたカイロネイアの戦いではギリシャ諸国連合に勝利し、全ギリシャを統一した事を証明するためのコリントス同盟を結成。ギリシャ各国がこの同盟に参加し、その盟主となった。 アレクサンドロス大王が国王となってからは、アケメネス朝ペルシャを打倒し、エジプトを勢力化に置くなど、日の昇る勢いでの領土拡大に成功し、一躍大陸を東西に結ぶ大国となった。しかし、アレクサンドロス大王の治世は長くは続かずに終わり、その広大な領土は彼の配下であったディアドコイによって分割される。ここに、アンティゴノス朝マケドニア、プトレマイオス朝エジプト、セレウコス朝シリアの三国家が誕生した。マケドニアの国家を引き継いだアンティゴノス朝地中海地方に勢力を伸ばしつつあったローマとの戦争に敗退し、紀元前148年に崩壊。古代マケドニアと呼ばれた王国は歴史に消える事となった。

コプト正教会/The Copt Orthodox Church <宗教>
東方正教会の一つで紀元前にエジプトで独自に発展したキリスト教の一派である。その始まりは紀元前1世紀にマルコがアレキサンドリアに建設した教会からなっており、現在ではエジプトの国民の大半がイスラム教を信仰しているが約5~10%の人々はコプト教に心を寄せている。