エジプト関連辞書(あ行)
アイオリス人/Aioleis<用語>
ギリシャ神話のアイオロスが祖であると考えられる民族で、古代ギリシャにおけるイオニア人、ドーリア人とならぶ3大民族のうちの一つ。ドナウ川流域よりギリシャ地域に移住してきたアイオリス人は、B.C2000年頃にアナトリア半島西部へ移住し、12のポリスを建設した事が知られている。その後は様々な国の支配を受けたために衰退してしまった。
アカデミー/Academy<施設>
古代ギリシャの哲学者であるプラトンが、アテネで開いたアカデメイアという学園に由来している。ルネサンス以降に学会や学術に関する団体という意味合いで使用されていった。派生語としてはアカデミック(学問的)などがあり、現在では学校の名前に使用されたり、小規模では塾の名称に使用されるなどしている。
アカデミカ/Academica<施設>
プラトンがアテナイイに創設した学校、アカデメイアにちなんで後世になって高度な学術教育を行う場所をアカデミーもしくは、アカデミカと呼んだ。現在では英語が一般的に普及しているため主にアカデミーと呼ぶことが多くなったが、アカデミカと名前の付く学園がなくなったわけではない。
アカデメイア/Akademeia<施設>
紀元前387年に古代ギリシャのアテナイにプラトンが創設した古代世界最大の名声を誇った学校のひとつ。幾何学と天文学を重視した授業を行い、プラトンの死後は甥が後を継いだとされている。時期によって学説に相違があり何期かに分かれており、末期は懐疑論が主流となったためアカデメイア派は懐疑論者と同義に使われた。アカデメイアによって排出された人材の中には、アリストテレスやアルケシラオス、プロクロスがいる。?東ローマ帝国皇帝ユスティニアヌス1世の非キリスト教的学校の閉鎖政策によって、アカデメイアは529年にその歴史を閉じる事となった。アカデメイアが学校として有名だったことから、ヨーロッパではネオプラトニズムの隆盛とともに、高度な研究ないし教育機関をこれにちなんでアカデミー、もしくはアカデミカなどと名付けることが行われた。ルネサンス期のフィレンツェにおけるプラトン・アカデミーはメディチ家と人文主義者の私的サークルであったが「アカデミー」という言葉が用いられる端緒となり、現在も使われているアカデミーの語源となった。
アカバ湾/Gulf of Aqaba<地名>
紅海の北端に位置し、シナイ半島の東側に南北に細長く伸びる湾。両側はエジプトとサウジアラビアであるが、最奥部にはイスラエルのエイラト、ヨルダンのアカバの各港があり、四か国の国境が集中している。
赤ピラミッド/A red pyramid<遺跡>
エジプト史上初めて完成した真正ピラミッド。スネフル王がダハシュールにて建造した。勾配約43度のこのピラミッドは後に続く様々なピラミッドの中でも特別赤い石材を使用しているためにこのように呼ばれている。
アイ/Ai<人物>
アメンホテプ3世の時代から臣として仕えてきた王族。父母共に神官であり、自らも神官としての経歴を積んできたためツタンカーメンの時代にはアメン大神官の地位にあった。ツタンカーメンの死後はその妻であったアンケセナーメンと結婚し、ファラオの位に就く。ファラオ名はケプルケプルゥラーである。死後は王女であったムトノメジットと結婚していたホルエムヘブが継いだ。
アクエンアテン/Akenaten<人物>
アメンホテプ4世と同じ。
アケトアトン/Aketaton<地名>
現在のテル・エル・アマルナ。アメンホテプ4世がアマルナ改革を実施した時に首都地として選ばれた場所。当時この土地には各地で祭られている神がおらず、処女地とされていた。
アジア/Asia<地域>
アジアという言葉は、本来は古代ローマにおける現トルコの西部地域を含む一帯を示していたが、時代が進んだ現在ではユーラシア大陸のヨーロッパ以外の部分を総称して呼ぶようになった。ユーラシア大陸の約80%の面積を占めている。アジアはウラル山脈、黒海を境にしてヨーロッパと接し、スエズ運河を境にしてアフリカと繋がっている。また、インドネシア・パプアニューギニアの国境を持ってオセアニアと接しており、ロシアの東端ではアメリカとの国境を経てアメリカ大陸と繋がっている。アジアは6つの地域に分けることが出来、東アジア、西アジア、中央アジア、南アジア、北アジア、東南アジアに分けられる。
アジア大陸/The Asian Continent<地域>
世界最大の大陸であるユーラシア大陸の東側の大部分を占めている亜大陸。西のヨーロッパ大陸とはウラル山脈を境にして区分されているが陸続きであり、南のアフリカ大陸とはスエズ地峡でつながっている。大陸の周辺は太平洋やインド洋などの大洋に続き、紅海や黄海、東シナ海、日本海、地中海、アラビア海など様々な海に面している。
アスワンハイダム/Aswan High Dam<建造物>
エジプトのアスワン地区に建造されたナイル川のダム。以前建造されたアスワンダムの上流に作られ、エジプトへのナイル川の氾濫を防ぐ目的がある。アスワンハイダムの建造によってナセル湖が誕生したが、その代償として多くの遺跡が水没するという危機に陥った。アブシンベル神殿もその一つであったが、ユネスコによって救済されて、遺跡全体が高台へと移された。また、ナイルクルーズを楽しみながらの遺跡ツアーなど、観光にも良好な影響があり、多くの農作地を取得することが出来るようになった。一方で、上流からの肥沃な土砂が望めなくなってしまったのでナイルデルタ地帯の土地が痩せてしまっているなど悪影響も認められている。
アタナシウス・キルヒャー/Athanasius Kircher<人物>
17世紀を代表するドイツ出身の学者で、エジプトのヒエログリフの解読を初めとして、東洋研究や医学などに関しても研究を行ったことで有名である。その彼の研究の中で最も著名であるのはエジプトの研究である。ヒエログリフの解読は失敗に終わったが、研究に利用された膨大な資料は後にジャン=フランソワ・シャンポリオンの手に渡り、解読の一旦をになったと言っても過言ではない。様々な分野にて多大な業績を修めたキルヒャーであったが、現在では一部の見当違いの研究結果だけが過大表現されているためにあまりよい評価を受けてはいないが、一方で遅れてきたルネサンス人と呼ばれるなど業績が見直されている面もある。
アテナイ/Atenai<都市>
ギリシャの首都アテネの古名。都市の中心にパルテノン神殿がそびえる都市国家として有名。都市の名前はギリシャ神話のアテナに由来したものである。B.C2000年ほどに国家として成立したが、その後周辺諸国はドーリア人の襲来を受けて陥落した。その後政治的治安的に不安定な暗黒時代を迎えるが、アテナイはそのどちらも王政を維持し続けドーリア人に屈する事はなかった。(当時のアテナイは経済的に未熟でもあり、産業も特別優れるものはなかったため、ドーリア人が攻撃する価値がなかったと判断したと言う説もある。)その後、銀の採掘によって経済的に大きく飛躍したアテナイは古代ギリシャの中心都市として台頭していく。アケメネス朝ペルシャとの戦争には周辺諸国家と連合して撃退に成功した。その時に活躍したのは市民であり、その後のアテナイは市民が積極的に政治に参加していく民主制へと変化していく。しかし、こうした一方でアテナイの急速な台頭を嫌う諸国家が反旗を翻すようになる。B.C341年にはスパルタとの間にペロポネソス戦争が始まり、陸戦に弱いアテナイは籠城を選択するが疫病が蔓延し敗退。その後は古代マケドニア、古代ローマと続く大国に支配され続け、再び勢力を盛り返す事はなかった。
アテネ/Athens<都市>
古名はアテナイといい、古代ギリシャにおいてはスパルタに並ぶ有力なポリスであった。現在はギリシャ共和国の首都として機能しており、また東方正教会の首長が座しているために精神的な中心地でもある。第一回夏季オリンピックが開催された場所としても有名で、都市の中心に位置するアクロポリスとパルテノン神殿はギリシャを代表する観光地となっている。
アテン/Aten<神>
エジプトの太陽神。人間的形態を持っている他の神々とは異なり、先端が手の形状を取る太陽光線を何本も放ち、光線の一つに生命の象徴アンクを握った太陽円盤の形で表現されている。初期には従来の太陽神ラーと同一視されるが、その後神性は薄れ、天体としての太陽を表すようになった。ツタンカーメンの父でもある、アメンホテプ4世が特に崇拝。
アデン湾/Gulf of Aden<地名>
インド洋の北西側に位置していて、北をアラビア半島、南をソマリア半島に挟まれた東西に細長い湾。西側にはバブ・エル・マンデブ海峡を経て紅海が広がっている。イエメン、ジブチ、ソマリアと接している。
アトゥム/Atum<神>
エジプト神話における天地創造の神。男神で、原初の丘ヌンより誕生した。大気の神シュウと湿気の神テフヌトを生み出し、そこから天と地が創造されたといわれている。構成になってからは太陽神ラーと習合した。
アナトリア半島/Anatolia Peninsula<地域>
小アジアとも呼ばれ、西アジア、中東に位置している半島。トルコのアジア部分の領土を構成している。アジアとヨーロッパをつなぐ重要な地点を占めているために、古来から多くの文明が栄えてきた。現時点で人類最古の定住型遺跡といわれているチャタルホユック遺跡を初めとして多数の遺跡が発見されている。
アッバース朝/al-Dawla al-‘Abbasiya<王朝>
イスラム第2の世襲王朝で、首都はバグダード。アッバース革命によってアブー=アル=アッバースがウマイヤ朝を打倒して建国した。アッバース朝はウマイヤ朝でアラブ人以外に求められていたハラージュをアラブ人にも適用することで、名目上はムスリムであれば人種を問わないという制度が完成した。アブー=アル=アッバースの跡を継いだマンスールは、当時首都として機能していたハーシミーヤから、首都をバグダードへと移転しアブー・ムスリムなどの有力者を排斥、カリフ権を強化する政策を取り、スンナ派を支持した。権力の上昇と共に、カリフはイマームという称号を使うようになり、神の代理人として振舞うようになった。しかし、そんな繁栄の最中、後継者争いと相次ぐ内紛によって国が疲弊し始めると、新しい軍事力としてマルムーク騎兵が採用されるようになり、やがてはマルムーク勢力が徐々に権力を伸ばし、カリフの改廃に関与するまでになった。こうなることで、中央権力は失墜し、帝国領土内の各地では総督が権力を持ち、トゥールーン朝やサーマーン朝といった王朝が乱立するようになる。そうした中で、カリフはアッバース朝の権威を復興させようと努力するが1258年にモンゴル軍によってバグダードが陥落し、王朝は幕を閉じることとなった。
アフリカ/Africa<地域>
アフリカとは、一般的にはアフリカ大陸とその周辺の島嶼を含む地域の事を言う。北部には世界最大の砂漠であるサハラ砂漠が広がっているのが特徴。北アフリカ、南アフリカに大別され、北部をホワイトアフリカ、南部を対比してブラックアフリカと呼ぶこともある。かつてヨーロッパではアフリカを「暗黒の大陸」として未開の地のように呼んでいたが、実際には古来から王国があったことや、文化が生まれていた事などがわかっており、現在では人類発祥の地としても有名である。
アフリカ大陸/The African Continent<地域>
ユーラシア大陸の西側で陸続きになっており、インド洋、大西洋、地中海に囲まれた大陸の事を指す。単にアフリカという場合にはその周辺の島嶼も含める。大陸北部と南部は中緯度高圧帯に当たるため乾燥しており、砂漠が広がっているが中部は赤道直下の為に熱帯雨林が生い茂り非常に緑が豊富である。生態系として、カバやキリンなどアフリカ大陸にのみ存在する動物がいるなど貴重な生態系を保有している。また熊が生息していないことはあまり知られていない。南北に大地溝帯が走っているために大陸自体は年に数センチずつ東西に分裂するように動いているが大陸自体は北上しており、その影響としてヨーロッパのアルプス山脈が形成されている。
アフロ・アジア語族/Afro Asia family of languages<用語>
アラビア半島を中心として話されるセム語派と、主に北アフリカを中心に話し手のいるハム諸語派の総称。以前はセム・ハム語族と呼ばれていたが、現在は使用されていない。ハム語派の中にはエジプト語も含まれているとされている。
アマルナ改革<用語>
アメンホテプ4世が行った宗教的、政治的改革の事を指す。首都を以前のテーベからアケトアトンに変更した事。従来の神々の信仰を禁止して、唯一神アテンへの信仰に変更した事などが主な改革の内容である。改革の原因となったのはアメン信仰の神官勢力の権力が大きくなりすぎたためとも言われている。改革の副産物としてそれまでのエジプト美術とは異なる、よりリアリティのあるアマルナ美術が生まれ、その後のエジプト美術に大きな影響を与えた。
アマルナ美術<用語>
アメンホテプ4世以前のエジプトの壁画に見られる、平面的な絵画や美術品とは異なった、より写実的な美術技法の事。これによってその後のエジプト美術に大きな影響が与えられたと共に、現在では当時のエジプト人や風景がどのようなものであったのか知るための、重要な手がかりにもなっている。
アメン/Amen<神>
古代エジプトの太陽神。アモン又は、アムンと言われる事もある。ナイル川東岸のテーベの大気の守護神、豊饒神として祭られていた。中王国時代第11王朝のメンチュヘテプ2世がテーベを首都としてエジプトを再統一してから、末期王朝時代の第30王朝までの1700年余りにわたり、ラー神と一体化し「アメン=ラー」としてエジプトの歴史・文明の中心に位置し、その他多くのエジプトの神々の中心として描かれてきた。アメン神はカルナック神殿に祭られており、神殿の大列柱室などに見られる数々の壁画には、2枚の羽を冠した人物像として刻み込まれている。また牡羊として表現されることもある。古代マケドニアのアレクサンドロス大王は初めてエジプトに入ったときに、古代エジプトの偉大な文明に感動し、自らを「アモンの息子」と称した。また、神々の主とされることからギリシア人はゼウス、ローマ人はユピテルと同一視した。アンモニア、アンモナイトの語源となった。
アメン神殿/Amen shrine<遺跡>
カルナック神殿内部にある、カルナック神殿を形成する最も重要な神殿。神殿西部にある牡羊頭のスフィンクスや第一塔門にあるオベリスク、大列柱室などはあまりにも有名。ラムセス2世やハトシェプスト女王など歴代の有名なファラオも造営、増築に携わっており、歴史の重みを感じる事が出来る。10の塔門を持ち、聖なる池を神殿内部ににもつこのアメン神殿は約30haもあるほどの巨大な面積を誇っている。エジプト観光の名所でもある音と光のショーはこのアメン神殿の聖なる池東岸に観覧席がある。
アメンホテプ4世/Amenhotep IV<人物>
古代エジプトのファラオで、在位紀元前1379年~紀元前1362年頃。後に改名してアクエンアテンやイクナートンと名乗る。アマルナ改革と言われる宗教改革を実施したことで知られる。妻にはネフェルティティ、息子にはスメンクカーラーやツタンカーメンと言った次代のファラオがいた。
アメン・ラー/Amen Ra<神>
エジプト創世記の頃から親しまれ最高位とされてきた神であるラーと、新王国時代に最も栄え、最も権威のあったアメンが習合した神として崇められていた。
アッラー/Allah<神>
イスラム教における唯一絶対の神。姿を持たずして万能であるとされる。このため、絵にして書く事もできず、偶像崇拝を禁止している。イスラム教はユダヤ教やキリスト教によって先行される宗教であるため、それらの宗教の神ヤハウェとアッラーは同一視される事が多い。つまり、世界を創造し、その後最後の審判を下すのもアッラーであるとされる。ジャーヒリーヤと呼ばれる古代アラブ宗教においては、アッラーは数多くいる神のうちの一つに過ぎなかった。また、カアバ神殿の最高神の名前はアッラーであり、この御神体となっている黒曜石は月からの隕石であるとされている。当然、偶像崇拝を禁止しているイスラム教においては崇拝の対象にはなっていないが、現在カアバ神殿の隅に設置され、巡礼の際に触れると幸運が訪れるとされている。
アラビア/Arabia<地域>
アジア大陸南西部、ペルシア湾・アラビア海・紅海に囲まれた世界最大の半島。大部分は砂漠地帯。石油埋蔵量が豊富な事で有名。アラビア半島。
アラビア海/Arabian sea <地名>
インド洋の一部として数えられ、アラビア半島とインドとの間の海を指す。注ぎ込む川はで著名なものはインダス川があり、北西部にはオマーン湾があり、ホルムズ海峡でペルシャ湾に繋がっている。アラビア海に面する国はインド、パキスタン、イラン、オマーン、イエメン、アラブ首長国連邦の6カ国である。
アラビア語/Arabic <言語>
おもに西アジアから北アフリカのアラブ諸国で用いられている言語で、世界の中でも大変広い地域で話されている言語の一つである。また国連の公用語の一つ。アフロ・アジア語族セム語派の一種で、もともとはアラビア半島で話されていたいくつかの言語を意味するが、現代では次の二つを指すときに用いられている。
文語:フスハー?(fus|ha)(正則アラビア語、古典北アラビア語ともいう)?
口語:アーンミーヤ
フスハーはアラブ諸国の共通語でアラビア文字で書かれる。起源は西暦4世紀ごろのアラビア半島に遡るといわれ、イスラムの出現と拡大にともなって北アフリカにまで使用地域が広がり、現在まで言語として大きく変わらずに使われている。イスラムの聖典であるクルアーン(コーラン)はアラビア語で記されたが、クライシュ族のアラビア語に近かったため、当時のアラビア半島に見られた諸方言のうち、クライシュ族方言が標準語フスハーとしての地位を獲得するに至った。神がイスラムを伝えるために選んだのがアラビア語だったことから、ムスリム(イスラム教徒)はこれを聖なる「神の言葉」としてとらえている。千夜一夜物語(アラビアンナイト)のような古典に見られるフスハーは一時期衰退し、アーンミーヤが専ら用いられるようになったが、フスハーは近代になってより簡単なものとして練り直され、書籍・雑誌・新聞などの文章はもちろん、公的な場での会話やテレビニュースなどでも使われるようになった。一方アーンミーヤは国・地域によって大きく異なる方言で、これには正字法が無いという欠点を持っている。アラブ人同士の日常会話はアーンミーヤで話されることが多いが、私信などではこれを文字化して表現する。数々の方言に分けられるが、現在ではエジプト方言が標準のアーンミーヤとして定着しつつある。しかし地域によっては、宗派ごとに話されるアラビア語に差異があるという面も持っている。文字にはアラビア文字を使う事が一般的であるが、アーンミーヤの場合は特別表記するための正文法がない。ただし、外国人向けなどの場合に限りラテン語で表記する。
アラビア半島/Arabian peninsula <地域>
アジアとアフリカを繋ぐ場所に位置する西アジア南西の巨大な半島。紅海、アカバ湾、アラビア海、アデン湾、ペルシア湾等に囲まれており、北の付け根はイラクとヨルダンにあたる。半島の南東方面にはルブアルハリ砂漠が広がっている。土地はサウジアラビア、クウェート、アラブ首長国連邦、カタール、オマーン王国、イエメン共和国に分かれており、カタールとサウジアラビアの沖にバーレーンがある。土地の大半が砂漠で覆われており、この半島で暮らす住民の大半が沿岸部や川沿いなどの緑のある土地に暮らしている。
アラビア文字/Arabic alphabet <用語>
アラビア語やイスラム教の人々が言語を記述するために用いる文字で、アルファベットの一種である。特徴としては活字でも手書きでも原則として右から左に記述し、それぞれの文字を続け書きにする。また、基本的に子音をあらわす文字から記されており、短母音は文字では表さない事が多い。しかし、学習初心者や外来語の表記の際には母音をきちんと表記している場合がある。アラビア文字は3世紀ごろまで中東で多く使用されていたアラム文字を起源としている。その中でもナバタイ文字と呼ばれる種類のものは続け書きにする文字であり、シリアやイエメンなどに渡って利用されていた。これから派生したのがアラビア文字だといわれている。アラビア文字が作られて利用されるようになってから次第に文字としての形が完成していき、イスラム教が出来る頃には既におおよその形が出来上がっていたと考えられる。イスラム教布教語として利用されたアラビア文字はその後イスラム教の普及と共に周辺の言語にも利用された。現在、アラビア文字を使用する言語にはアラビア語、ペルシャ語、ダリー語、クルド語、パシュトー語、シンディー語、ウルドゥー語、カシミール語、パンジャブ語、ウイグル語、ベルベル語等がある。アラビア文字からラテン文字に変更されたものなどもあり、トルコ語、マレー語、インドネシア語、スワヒリ語などが例として挙げられる。また、アラビア文字は太陽文字と月文字の二つに分けることが出来る。
アラビアンナイト/The Arabian Nights <本>
通称「千夜一夜物語」として様々な本が出版されている。アラビアの王様を主人公にした1001夜の説話集。詳しくは千夜一夜物語を参照。
アラブ首長国連邦/United Arab Emirates <国>
アラブ首長国連邦は、アラビア半島ペルシャ湾岸に位置する連邦国家で、7つの首長国家から形成されている。現在の国家を形成するようになった大元の首長国は17世紀から18世紀にかけて成立。その後はペルシャ湾を航海するヨーロッパ勢力と対立していたが、1853年にイギリスと休戦協定を結び保護下に入る。1971年にイギリスが撤退すると、それに伴い翌年7つの首長国が連邦体制をとる現在のアラブ首長国連邦が形成された。首都はアブダビ。現在はドバイがリゾート地として有名になってきており、観光産業に力を注いでいる。
アラブ諸国/Arabian countries <用語>
アラブ世界とも言う。政治的な範囲としてはアラブ連盟の加盟諸国がこれに当たるとされている。
アラブ人/Arabian <用語>
主に西アジアから北アフリカにかけて居住している、アラビア語を話す人々の事を指す。7世紀にムハンマド・イブン・アブドゥッラーフによってイスラム教が開かれて後、中東を中心に勢力を拡大した。しかし、アラブ人がすべてイスラム教徒というわけではなく、アラブ人の中にはキリスト教徒やユダヤ教徒など他の宗教の信者もいるのが特徴と言える。アラブ人という概念は血縁よりもむしろ言語で規定される。最初のアラブ人であるアラビア半島の住民に加え、イスラムの拡大によって多くの人々がアラブ人と呼ばれるなった。シリア人、パレスチナ人、エジプト人、黒人であるスーダンのアラビア語系住民までがアラブ人の範疇に含まれる。
アラブ世界/Arabian world <用語>
アラブ諸国の事を指す言葉。政治的な範囲としてはアラブ連盟の加盟諸国がこれに当たるとされている。
アラブ民族主義/Arabism <用語>
中東において、国家を超えたアラブ世界の連帯を目指す思想。詳しくは汎アラブ主義を参照。
アラブ連合共和国/United Arab Republic <国>
エジプトとシリアの連合による共和国家である。飛び地国家であったが首都はカイロに定められ、ナーセルの主導の下にエジプト優位の政策が進められた。シリアの権力者たちはエジプトに招かれて政治の中心から外されてしまい、無力感を味わうなど、連合としての意義に反していたため結成して間もなくシリアが脱退する形で解消された。しかしその後も10年間エジプトは国名としてアラブ連合共和国を利用し続けたが、ナーセルの死後、エジプト・アラブ共和国に変更された。
アラブ連盟/League of Arab States <用語>
アラブ諸国の政治的な連盟。第二次世界大戦末期の1945年3月22日創設され、現在本部はカイロにある。イギリスとソビエト連邦がイラン・トルコに接近する中で結成され、後にエジプトのガマール・アブドゥン=ナーセル大統領の提唱により、アラブ民族主義(汎アラブ主義)に基づくアラブ世界の統一を目指したが、いずれも頓挫した。中東戦争には共同歩調をとったが、パレスチナ解放機構(PLO)の暴走やエジプト・イスラエルの単独和平でまとまりは無くなり、地域ではPLOが絡んだヨルダン内戦、レバノン内戦などが相次いだ。イラン・イラク戦争では一貫してイラクを支持し続けたが、1991年の湾岸戦争では内部分裂の結果、多くの国が対イラク攻撃に参戦した。
アラム文字/An Aramaic alphabet <用語>
かつて、中東における国際語であったアラム語の文字。フェニキア文字と密接な関係があると考えられている。アラム文字は時代と地域によって非常に多くの字形があり、またそこから派生した他の言語も非常に多い。ペルシャ全盛期の時代には、エジプトからアフガニスタン、インドまで幅広い地域で公用語として使用され、またユダヤ人の使用していたヘブライ文字も、アラム文字に変更された。アラム文字から派生した文字の中には、シリア文字、アラビア文字、デーヴァナーガリー文字、チベット文字、タイ文字、ウイグル文字などがある。
アリストテレス/Aristoteles <人物>
前384年-前322年。古代ギリシャの哲学者。17歳の時にアテナイにてプラトンが主催する学園、アカデメイアに入門し20年ほど学生としてすごした後に、教師となってアカデメイアの生徒の指導に当たった。その後、プラトンがこの世を去るまでアカデメイアに残り、その後はフィリッポス2世に招聘されてアレクダンドロス大王の家庭教師となる。家庭教師としての職務を終えた後はアテナイに戻り、自らの学園リュケイオンを開くなど積極的に教育活動を展開した。アレクサンドロス大王の死後、アテナイではマケドニア人の迫害が起こったために、母方の故郷に逃亡し、病死した。
アル=イスカンダリーヤ/Al-iskandariya <都市>
アレキサンドリアのアラビア語表記。アレクサンドロス大王の町、イスカンダルの町と言う意味が込められている。
アルキメデス/Archimedes <人物>
古代ギリシャの数学者であり、技術者。シチリア島のシラクサに住んでおり、第二次ポエニ戦争ではシラクサがハンニバル側に味方したためにアルキメデスもこれに協力し、数々の発明品でローマを苦しめた。シラクサ陥落の際、ローマ側の将軍マルクス・クラウディウス・マルケッルスはアルキメデスを殺すなという命令を出していたが、アルキメデスが地面に書いた図形を踏みつけた兵士に反抗したため、その兵士によって殺害されてしまった。
アルケシラオス/Arkesilaos <人物>
紀元前315年頃 – 紀元前241年のギリシャ哲学者。懐疑主義を唱えた。プラトンの開いたアカデメイアにて学頭となり、懐疑哲学を研究し、基礎を築いた。後に懐疑哲学は同じアカデメイアの学頭カルネアデスによってさらに発展した。
アルタシャタ/Altashat <人物>
ダレイオス3世の即位前の名前で、ペルシャ語による。人物についての詳しい情報はダレイオス3世を参照。
アルファベット/Alphabet <用語>
ギリシャ文字の最初の二つであるアルファ、ベータに由来し、原則として一つ一つの文字が表音文字としての機能を持っているものの総称。 現在利用されているものの中では、モンゴル文字、アラビア文字、ギリシャ文字、ラテン文字などが著名である。 日本に限定して言えばアルファベットといった場合、ラテン文字を指す場合が多い。
アレクサンダー/Aleksander <人物>
アレクサンドロス大王の通称。
アレクサンドリア/Alexandria <都市>
アレクサンドロス大王がエジプトを制圧した時に建設した新都市。以後プトレマイオス朝などによって長く首都として栄え、現在もアレクサンドリアはナイル川デルタ地帯西部に残っている。現地の言葉ではアル=イスカンダリーヤとなる。アレクサンドロス大王が世界各地に自分の名前を付けた都市を建設したその第一号である。「地中海の花嫁」と呼ばれているアレクサンドリアは典型的なイスラム都市のカイロとは違い、西洋風の雰囲気があり、国際観光、商業都市でもある。 古代のアレクサンドリアは世界の七不思議の一つに数えられているファロス島の大灯台や、各地から詩人や学者たちが集まってきた学術研究所ムーセイオン、文学・歴史・地理学・数学・天文学・医学など世界中のあらゆる分野の書物を集め、70万冊の蔵書を誇りながらも歴史の闇に忽然と消えたアレクサンドリア図書館などがある。ヘレニズム時代の商業(地中海貿易)と文化の中心地として栄え、「幾何学原論」で知られる数学者のエウクレイデスや、地球の大きさを正確にはかったアレクサンドリア図書館長エラトステネスなどが活躍した。1世紀には世界最大のディアスポラを擁し、哲学者フィロンらが活躍。またキリスト教の初期から重要な拠点であり、古代神学の中心地のひとつともなった。 4世紀以降は東ローマ帝国(ビザンティン帝国)により支配される。この時期、アレクサンドリア学派と呼ばれる神学者たちが活躍。641年にはアラブ人により陥落させられ、イスラム世界に組み込まれた。イスラム時代には当初東ローマ帝国から切り離されたために経済的に沈滞したが学芸の都として性格は残りつづけ、アラビア科学揺籃の地のひとつとなった。やがて紅海からカイロを経てアレクサンドリアにもたらされたインドの香辛料を求めてヴェネツィアなどイタリア半島の諸都市から商人が訪れるようになると、地中海交易の重要拠点として再び経済的に繁栄、16世紀にヨーロッパ諸国がアフリカ回りのインド洋航路を開拓するとイタリア諸都市とともに再び衰えを見せ始めるが、19世紀にムハンマド・アリーの近代化改革の一環として輸出商品としてナイル・デルタで綿花が大々的に栽培されるようになるとその積み出し港となり、国際貿易都市としてみたび繁栄した。
アレクサンドリア図書館/Alexandria library <建造物>
紀元前300年頃、プトレマイオス朝のファラオ、プトレマイオス1世によってエジプトのアレクサンドリアに建てられた図書館。世界中の文献を収集することを目的として建設され、古代最大にして最高の図書館とも、最古の学術の殿堂とも云われている。図書館には多くの思想家や作家の著作、学術書を所蔵し、その蔵書はおよそ70万巻にものぼったとされる。アルキメデスやエウクレイデス、地球の直径を計ったエラトステネスや、天動説を説いたクラウディオス・プトレマイオスなど、世界各地から優秀な学者が集まった一大学術機関としても知られる。薬草園が併設されていた。 アレクサンドリア図書館では多くの写字生を抱えており、組織的に数々の書物を書き写していたとされている。当時は印刷技術がなかったためにこのようにして手書きでパピルスに書き写したものを巻物として保存していたと考えられている。その後、多くの学者を輩出しながらも火災によって書物、薬草園は壊滅し、その後の略奪や破壊によって建物自体も歴史の表舞台から消えてしまった。火災の原因は諸説あるが最も有力な説としては、ガイウス・ユリウス・カサエルの放火によるものである。
アレクサンドリアの大灯台/Lighthouse of the Alexandria <建造物>
ファロス島の大灯台とも呼ばれ、世界の七不思議に数えられている。詳しくはファロス島の大灯台参照。
アレクサンドロス3世 <人物>
アレクサンドロス大王の正式名。アレクサンドロス大王というのは後世の人間がつけた呼び名である。
アレクサンドロス大王/Aleksandros <人物>
通称アレクサンダー。正式にはアレクサンドロス3世。古代マケドニア王国の国王で在位は前336年-前323年。幼少期に古代ギリシャの有名な哲学者アリストテレスを家庭教師に迎えて基礎的な教養を身に付けた。20歳の若さでマケドニアの王位を継いだアレクサンドロスは古代ギリシャの諸ポリスと同盟をした上でペルシャ東征に出発する。グラニコス川の戦い、イッソスの戦いにおいてペルシャ軍を蹴散らしたアレクサンドロスはその後エジプトに侵入。エジプト人に解放者として迎え入れられたアレクサンドロスはファラオとして認められ、メリアムン・セテプエンラーというファラオ名を奉られ、アメン神殿にその像を祭られた。その後、アレクサンドロスは少数の部隊を率いて西方にあるシーワ・オアシスに向かい、その地でアメンの子であるとする神託を受ける。その後、ナイル川デルタ地帯の西方にアレキサンドリアと呼ばれる新しい都市の建設に着手し、成功を収めた。 エジプトにて将兵に十分な休息を与えたアレクサンドロスは再びペルシャへの遠征を開始。チグリス川上流におけるガウガメラの戦いにおいて、ペルシャ軍本隊をほぼ壊滅させる。アケメネス朝ペルシャ国王ダレイオス3世が側近のベッソスによって暗殺されると、アレクサンドロスはベッソスを公開処刑し、ダレイオス3世を丁重に弔った。その後、中央アジア諸国を支配下に置きながらインドへ向けて東征を続け、インダス川を越えてパンジャーブ地方に進出し、この地を治めた後にスーサに帰還した。バビロンまで戻ったアレクサンドロスはアラビア半島遠征を計画したがある夜の祝宴中に突然倒れた後、33歳という若さで死去した。
アレクサンドロス大王伝/Alexander the Great biography <書物>
プトレマイオス1世によって記された、古代マケドニアのアレクサンドロス大王に関する記録。別資料でプトレマイオス1世によって描かれた事などはわかっているが、アレクサンドロス大王伝自体はアレクサンドリア図書館焼失の際に共に燃えてしまった。
アーンミーヤ/Anmiya <用語>
アラビア語のフスハーに対する方言の事。マルタ語を含んでアーンミーヤとする場合が多い。正書法などは成立していないが、現在最も有力であるエジプトの方言を中心に規範化の動きを見せている。諸方言間では意思疎通が困難なほどの差があることで有名。
アンク/Ankh <道具>
エジプト十字とも呼ばれる。アンクというのは古代エジプト語で生命を意味しており、その象徴とされる。十字架の上部がループ状の楕円となった形状をしており、サンダルのひもをかたどったものと言われている。また、ヒエログリフにおいて、Ankh(又はAnx)音を表す文字としても用いられ、ツタンカーメンもTut-ankh-amenのankhの部分にこの文字が用いられている。
アンケセナーメン/Ankhcenamen <人物>
ツタンカーメンの妻であり、イクナートンの妹である。ツタンカーメンの墓から出土した副葬品にてツタンカーメンとサンダルを共に履き分けている中むつまじい姿で有名である。ツタンカーメンの死後は大臣であるアイと結婚した。
暗黒時代/A dark age <用語>
歴史上のある一定期間に、政治情勢不安、疫病、戦乱などによって文化の発展が著しく遅れたり社会が乱れたりしていた時代の事を指す。主には古代ギリシャや中世ヨーロッパなどで見られることが多い。また、特定の宗教や美術の弾圧などにもこの言葉が用いられる場合もある。 古代ギリシャにおける暗黒時代とはB.C1200年頃のトロイア戦争終結後から数世紀間に渡って見られた、ギリシャ文化の停滞期の事を指す。この時代は諸王が戦争に出かけて10年以上も国に帰らなかったために国土が荒廃してしまうなどの事態が相次いだとされ、戦争終結後も小規模な権力者が林立し、暗殺と権力争いが日々繰り返された時期であるとされている。時代的には口承のギリシャ神話の時代から文字による歴史が始まる転換期であったと考えられている。 一方、中世ヨーロッパの暗黒時代は、西ローマ帝国の崩壊からルネサンスの前までとされている。そもそも暗黒時代という概念はルネサンス初期の人文主義者ペトラルカによって考えられ、古典古代の失われた時代を闇と呼んでいた事に起因している。しかし、ルネサンス以前にも古代の文化を復興させようと動きがなかったわけではなく、フランク王国のカロリング朝ルネサンスや、東ローマ帝国のマケドニア朝ルネサンス、パレオロゴス朝ルネサンス、西ヨーロッパでの12世紀ルネサンスなどが存在しているために、現在では正確な暗黒時代の定義が曖昧となっており、議論を呼んでいる。
アンワル・アッ=サーダート/Muhammad Anwar al-Sadat <人物>
エジプト・アラブ共和国の第3代大統領。20歳で王立陸軍士官学校を卒業し、通信部隊に配属された。その後はイギリスの支配からエジプトを解放する運動に参加するが、第二次世界大戦中に枢軸国からの支援を受けようと画策したために、イギリスによって投獄される。1952年にはナーセルと共にファールク1世を追放するクーデターに参加し、ラジオ局及びテレビ局を占拠、国民に対して革命を伝える役割を担った。 新政府樹立後は要職を歴任し、副大統領に就任。ナーセル死後は大統領となり反対派を一掃したが、シリアと共同でイスラエル侵攻を開始し、大きなダメージを与えたために英雄と評された。しかし、その後のイスラエルとの対談でシナイ半島をエジプトに返還させることで和解し、アメリカ寄りの政策を取ったことで次第に周辺アラブ諸国や国民から孤立していく。そうした中で1981年にジハード団に所属しているハリド・イスランブリ中尉によって暗殺された。 その後、副大統領であったホスニー・ムバーラクが大統領に就任した。
イエメン共和国/Republic of Yemen <国>
西アジア及び中東に属する国で、サウジアラビア、オマーンと国境を接している。 古代から交易の中心地、物資の集散地として知られ発展を遂げた。7世紀頃にイスラム教が流入したためイスラム国家となった。その後は様々な勢力の侵攻に侵されたがシーア派の一派であるザイード勢力の支配を尊び、オスマン帝国の侵攻などを退けた。19世紀の初頭にはエジプトの勢力下に入り、その後はイギリス、オスマン帝国とかわるがわる支配されたが、第一次世界大戦でのオスマン帝国の敗北によりイエメン王国として独立。しかしその王国も長くは続かず、イエメン・アラブ共和国、南イエメン民主共和国(イエメン人民民主共和国)とかわるがわる政権が変わっていき、1990年、現在のイエメン共和国が成立した。 2000年にはイエメン南側のアデンにおいて、イスラム原理主義勢力アルカーイダによる米艦コール襲撃事件がおきるなど、現在も落ち着きを見ない地域である。 本土以外では、インド洋のソコトラ島を領有している。地理的に紅海、アデン湾、アラビア海に接している。
イオニア人/An Ionian <国家>
B.C3000年頃にバルカン半島を南下してギリシャや小アジアに定住したと考えられる民族で、古代ギリシャを構成する民族の一つ。アテナイを築いた民族として有名である。
イギリス/United Kingdom <国家>
正式名称は「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」。イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4つの非独立国の集合体である。現在国際連合の安全保障理事会常任理事国であり、大航海時代に世界屈指の海洋国家に成長し、多くの地域に英語を伝播させた。 イギリスは古来よりそれぞれの地域が独立した王国であったが、近代に入って統一を果たし、アイルランドを併合していた。しかし、北アイルランドを外すアイルランド南部はイギリスからの独立を宣言し、現在に至るようになる。第二次世界大戦後、相次ぐ植民地の独立もあって、多くの損害を出したイギリスはヨーロッパにおける突出した地位を失ったため、アメリカにその後の世界の主導権を譲り渡す形となった。
イクナートン/Ikunaton <人物>
アメンホテプ4世がアマルナ改革を実行後、改名した名前。
イスカンダル/Iskandal <人物>
アレクサンドロス大王のアラビア語での人名。またはそれに由来する人間の名前。
イスラエル国/Israel <国>
中東、西アジアの国で、シオニズム運動によって各地に離散していたユダヤ人が集まって建国した。首都はエルサレムとされているが、各国の公館はテルアビブに集中している。 この土地は古代イスラエル王国が新バビロニアに滅ぼされて以来、ユダヤ人が徐々に離散していき、イスラム帝国が支配するようになるとイスラム教のアラブ人国家になった。しかし、近代に入ってユダヤ人がパレスチナに帰還してイスラエルを建国し、アラブ人や現地に残っていたユダヤ人を餞別するようになると民族・宗教間で溝が生まれ現在の宗教問題に発展した。公共語はヘブライ語とされており、この言葉は古代の失われた言語を近代になって復元したものを公用語と定め、利用されている唯一のケースとして注目されている。 国土はレバノン、シリア、ヨルダン、エジプト、パレスチナ暫定自治区と接しており、西は地中海に面している。
イスラム/Islam <用語>
イスラムというのは唯一絶対の神であるアッラーに帰依すること、服従する事を指しており、この行為そのものをイスラム教と呼ぶ。しかし、クルアーンやムスリムの従うべき規範を定めたシャリーアを見てもわかるとおり、イスラムとは単に宗教としての存在ではなく、イスラム国家の政治のあり方や、ムスリムと異教徒との間の社会関係など多岐に渡る全ての事を定めたものである。よって、近年ではイスラム教という表記はイスラムの、特に宗教面のみを語る場合に使用し、それ以外の範疇も含めたイスラムを表す場合は通常、イスラムと呼ぶ場合が多くなっている。
イスラム教/Islam <用語>
アッラーが唯一神であることを信じ、預言者たるムハンマド・イブン・アブドゥッラーフを通じて人々に下したとされるクルアーンの教えを信じ従う一神教である。世界三大宗教の一つとして有名で、ユダヤ教やキリスト教と同様にアブラハムの宗教の系譜に連なるとされている。偶像崇拝を徹底的に排除し、神への奉仕を重んじ、信徒同士の相互扶助関係や一体感を重んじる点に大きな特色がある。一般にイスラム教徒はムスリムと呼ばれており中東、北アフリカ地域を中心に信仰されている。
イスラム教徒/A Muslim <用語>
イスラム教を信じる人々を指す。主には中東、北アフリカ地域に住んでいるアラブ人が中心となっており、一般にムスリムと呼ばれる人々の事である。
イタリア共和国/Italian Republic <国>
ヨーロッパ南部の国。イタリア半島とその付け根に当たる地域、地中海に浮かぶサルデーニャ島、シチリア島からなる。フランス、スイス、オーストリア、スロベニアと国境を接し、サンマリノ、バチカンの領土を取り囲んでいる。古代ギリシャ時代より都市国家の形成が進み、ローマ帝国の中心地として栄えた。
イッソスの町/Issos <都市>
アレクサンドロス大王率いる古代マケドニア軍とダレイオス3世率いるアケメネス朝ペルシャ軍の2度目の大きな戦いの戦地となった場所。キリキア門を陥落させたアレクサンドロス大王に対して、ダレイオス3世はイッソスに軍を進め、ここに駐屯して大軍を配置、古代マケドニア軍を包囲する形で布陣した。
イッソスの戦い/War of Issos <用語>
グラニコス川の戦いの後、小アジアを制圧した古代マケドニア王国軍と自国領土を守備するアケメネス朝ペルシャによって行われた会戦。小アジアを制圧した後にアレクサンドロス大王はさらに東進して小アジアの根元であるキリキア門を攻撃して勝利し、キリキア門含む周辺の諸都市を支配下に治めた。一方ダレイオス3世率いるペルシャ軍はイッソスの町に駐留し、マケドニア軍勢の背後を遮断する形で布陣し、圧倒的な戦力で包囲する。数で不利なアレクサンドロス大王はイッソスのペルシャ本隊を攻撃し、両翼の軍を分断して孤立した本隊を潰走させる事によって勝利した。ダレイオス3世は敗残兵を回収しつつメソポタミアへと逃れていく事となる。
イブン・バットゥータ/Ibn Battuta <人物>
モロッコ出身のウラマーで、旅行家としても有名である。全名はアブー・アブドゥッラーフ・ムハンマド・イブン・アブドゥッラーフ・イブン・ムハンマド・アッ・ラワーティー・アッ・タンジーという。 21歳の時に旅行に出発しエジプト、マッカ、イラン、シリア、アナトリア半島、黒海、キプチャク・ハン国、中央アジア、インド、スマトラ島、ジャワ島と旅をして中国に到着、泉州・大都を訪問したとされている。一旦故郷に帰るもその後、アンダルシアとサハラ砂漠を旅してマリーン朝の都フェスに帰り、実に24年にも渡る大旅行を終えた。 旅行記「三大陸周遊記」を著し、19世紀には多言語に翻訳されたものが出版され、多くの人々を魅了した。
イムホテプ/Imhotep <人物>
古代エジプトの第三王朝のジェゼル王に仕えた宰相である。ジェフティ神に使える神官の祭儀文朗読神官長の地位にあった人物であるが、ナイル川が7年間氾濫しなかったために深刻な飢饉に陥った時、王からどうするべきか下問されるとクヌム神の神殿に土地を寄進するように進言するなどの業績を上げたことが知られている。また、史上初のピラミッドである階段ピラミッドを設計したことで有名で、様々な業績から死後に神格化された人物である。その他にも内科医としても優秀であったと伝わっている。
イラク共和国/Republic of Iraq <国>
中東・西アジアの国。首都はバグダード。サウジアラビア、クウェート、シリア、トルコ、イラン、ヨルダンと国境を接している。古代メソポタミア文明を受け継ぐ土地にあり、世界で3番目の原油埋蔵国である。
イラン・イスラム共和国/Islamic Republic of Iran <国>
古く西洋ではペルシャとして知られていたが、現地の人々はイランと呼んでいた。しかし、イランでは諸外国に対して公式文書にてイランという表記をするように呼びかけ、ペルシャという表現は非公式なものとなった。 イランの歴史で確認されているのはB.C3000年頃にさかのぼると言われ、その間様々な王朝が興り、そして滅んでいった。中でも中世ではイスラムの黄金時代といわれており、その中心地として重要な役割を果たしていたとされる。現在は1979年に起こったイスラム革命に由来する政権が国政をになっている。
イラン・イラク戦争/Iran-Iraq war <用語>
1980年から8年間に渡って続いたイランとイラクの国境をめぐる戦争。中東の不安定さを示すためにしばしば中東戦争、湾岸戦争と一緒に論議に出されるが、この戦争はイスラム教ないの教派である、シーア派とスンナ派の戦いであり、また歴史的に長い間対立してきたペルシャとアラブの対立でもあった。こういった図式から、非常に重要な意味を持っていると考えられる。
インダス川/The Indus <地名>
パキスタン最大の河川であり、チベットに源流があり、ヒマラヤ山脈を北西に進みパキスタンで南転し、縦断する。インダス川流域の平原はチグリス川・ユーフラテス川、ナイル川、黄河と並んで、世界四大文明の礎となった大河として有名である。
インド/India <国>
南アジアに位置しており、インド亜大陸の大部分を占める連邦共和国である。国民は10億人を超え、多様な人種、民族、言語、宗教によって構成されている。ヒンドゥー教徒が最も多く、ヒンドゥー教にまつわる身分制度であるカースト制度の影響があり、階層や貧富の差が非常に大きいといえる。また1947年まではイギリスに支配されていた植民地としての時代もあり、その後マハトマ・ガンジーなどの働きによって独立に成功した。現在はIT産業やバイオテクノロジー分野において世界でトップレベルの業績を治めている。
インド・ヨーロッパ語族/An Indian European family of languages <用語>
言語分類の一つで、小アジア、アラビア半島を中心とする中東と北アフリカ、一部を除く東アジア圏以外の世界全域で使用されている。主に英語、ギリシャ語、ロシア語、ラテン語などがありこれらの多くは大航海時代に全世界に飛躍的に進出し、利用されるようになった。起源は約9000年前のヒッタイトが使用していた言語であるとの研究発表が出ているが、真偽は未だ定かではない。
ヴァイクセル川/Weichsel River <地形>
ポーランドを流れる最長の川で、ヴィスワ川のドイツ語読み。詳細はヴィスワ川を参照。
ヴィスワ川/Vistula River <地形>
ドイツではヴァイクセル川としてしられており、ポーランドを流れる最長の川である。全長は1047kmにも及び、流域面積はポーランドの国土の60%以上を占めている。バルト海に注ぐ河川である。
ヴェネツィア/Venezia <都市>
イタリアの北東に位置するコムーネで、中世にはヴェネツィア共和国の首都として栄えた都市である。水の都として有名であり、ヴェネト州の州都として、またヴェネツィア県の県庁所在地として行政を行っている。
ウマイヤ朝/Umayyad <王朝>
ダマスカスを首都にしたイスラム史上初めての世襲制イスラム王朝。5代目カリフであるムアーウィヤが4代目カリフであるアリー・ファーティマとの抗争に勝利して建国した。非アラブ人に対しては、シズヤとハラージュを支払う事を義務とし、イスラム教に改宗したとしても差別されるというアラブ至上主義政策を進めた。また後世のイスラム世界においてスンナ派が覇権を握る礎を築き、インド洋からイベリア半島までの広大な地域を支配するに至ったが、東ローマ帝国の首都であるコンスタンティノポリスを包囲した大軍が壊滅させられると、続くメロヴィング朝フランク王国とのトゥール・ポワティエ間の戦いでも敗北した。その後、750年におきたアッバース革命によってウマイヤ朝は終焉を迎えることとなったが、王族の一人であるアブド・アッラフマーンがイベリア半島へ逃れ、後ウマイヤ朝を建国した。
エウクレイデス/Eukleides <人物>
古代ギリシアの数学者、天文学者。『原論』の著者であるとされるが、この書物が複数人の共著である可能性があるため、謎に包まれている。自身の生涯はアテナイで、プラトンに数学を師事していたとされ、プラトンの死後は彼が創始した哲学学校アカデメイアで数学の教師の1人だった時期があると見られている。古代においては類を見ない卓越した数学者として有名で、アレクサンドリアで数学を教えていたことや、そこで数学の一派をなしたことが大きな功績である。
エジプト/Egypt <国>
正式にはエジプト・アラブ共和国というのが正しい名称。中東・アフリカに位置していて首都はカイロ。南にスーダン、西にリビア、北東にイスラエルが接している。また、北に地中海、東に紅海が面しており国土の96%が人間の住むことが出来ない砂漠地帯である。ヘロドトス曰く「エジプトはナイルの賜物」と言われるように、エジプトはナイル川のデルタ地帯の豊富な土壌を利用して文明を発達させてきた。B.C3000年の頃よりエジプトでは中央集権国家が形成され、ピラミッドや王家の谷、ヒエログリフなどのような世界的に良く知られている高度な文明を発達させてきた。B.C525年にはアケメネス朝ペルシャ、後に古代マケドニアのアレクサンドロス大王によって支配されたが、アレクサンドロス大王の死後、彼の配下であったプトレマイオス1世によって、プトレマイオス朝エジプトが成立し、ヘレニズム文化の中心地として栄えた。プトレマイオス朝はB.C30年にローマ帝国によって滅ぼされ、その後はローマ帝国の属州となる。その統治下でキリスト教が国内に広がり、やがてコプト教が生まれた。ローマ帝国が分割された後は東ローマ帝国に属したが、長い繁栄の後にイスラム帝国軍によって征服された。これ以降は長くイスラムの国家として歩む事になる。 ナポレオン・ボナパルトがエジプトに侵攻してきた事によって、エジプトは近代国家の道を歩み始める事になる。フランスのエジプト撤退後はムハンマド・アリーによって開かれたムハンマド・アリー朝に支配される事になる。その中でエジプトはフランスと共にスエズ運河の開通を成功させるが、結果としてエジプトの経済に大きな打撃を与える結果となり、イギリスの進入を許してしまう事となる。それ以降はイギリスへの反抗運動などもあったもののいずれも鎮圧され、エジプトはイギリスの保護国となった。イギリスが撤退後は、エジプト王国として独立を果たし、エジプト共和国、アラブ連合共和国と次第に共和国としての道を歩みだし、1971年には現在のエジプト・アラブ共和国として成立した。
エジプト・アラブ共和国/Arab Republic of Egypt <国>
現在のエジプトの正規名称。詳しくはエジプトを参照のこと。
エジプト王国/An Egyptian kingdom <国>
第一次世界大戦後にイギリスの保護国となっていたエジプトが独立して王権体制を布いた国家のこと。緩やかに近代化政策をとりながらエジプトの発展を試みていたが、第二次世界大戦を初めとする戦争や、パレスチナ問題の深刻化などによって政権は次第に動揺していく。その後にイスラム主義を唱えていた自由将校団がクーデターを起こして王権を打倒し、エジプト共和国へと取って代わることとなった。
エジプト革命/An Egyptian revolution <用語>
イギリスから独立しよういう気運が高まっていたエジプト国内において、ファールク1世を頂点にしたムハンマド・アリー朝を解散し、共和制の国家樹立を求めた自由将校団が起こしたクーデター。自由将校団のメンバーの中にはムハンマド・ナギーブ、ガマール・アブドゥル・ナーセルがいたとされている。この革命の後にムハンマド・ナギーブは大統領に就任した。
エジプト考古学博物館/Egyptian archeology Museum <施設>
エジプトの首都、カイロにある考古学博物館でエジプトの有名な観光地にもなっている。展示品の中にはツタンカーメンの墓から出土した黄金のマスクやラムセス2世のミイラなど古代エジプトの産物が多く展示されており、その数は20万点にものぼるといわれている。1850年代のフランスの考古学者が遺品を展示し始めたのが始まりとされている。博物館は年中無休。
エジプト共和国/An Egyptian republic <国>
エジプト革命によって共和制となった国家で、ガマール・アブドゥン=ナーセルのもと、汎アラブ主義に沿った方針でアラブ諸国内での主導権を確立していく。エジプト国内にあるスエズ運河の国有化や第二次中東戦争での勝利など、現在のエジプトの地位を確立するまでの大きな要因を作った国家でもあった。1953年にはシリアとの連合国家となるため国名が改まり、アラブ連合共和国となった。
エジプト語/Egyptian <用語>
古代エジプトの時代より、イスラム支配によってエジプトがアラブ化するまで公用語として用いられた言語のこと。ヒエログリフやコプト語などがそれに当たるとされている。アフロ・アジア語族に属しており、現在はコプト語が典礼用語として使用されている。
エジプト神話/An Egyptian myth <用語>
古代エジプトにおける宗教で、崇拝の対象になったものである。地域によって最高神が違っていたり、神話の内容が異なるのが最大の特徴であり、また時代によっても最高神が入れ替わるなど、一概に説明することが難しい事で有名。エジプトの神話はよって、概要以上に話をすることは難しいといわれている。 エジプトの神話について話をする場合はヘリオポリスの神話を中心にして話すことが多いが、それによると天がヌトという女神であり、地がゲブという男神であった。初めのうちは隙間なくくっついていたが、次第に天と地が分かれるようになり、ゲブは少しでもヌトに近づこうとして山を作ったといわれている。また、地上はナイル川によって2つに分けられており、その地下には冥界が存在し、夜にはラーが冥界を通って再び東の空から現れると信じられていた。
エジプトはナイルの賜物/Egypt is a gift of the Nile <名言>
古代ギリシャの歴史家、ヘロドトスが自身の書物である「歴史」の中に記した言葉。エジプトの繁栄はナイル川の定期的に起こる氾濫によって育まれたものだと言う事を端的にあらわした表現として用いられており、この言葉の言うとおり、ナイル川下流域では肥料なしでも年に3回は作物を収穫できた。
エジプト方言/Egypt dialect <用語>
アーンミーヤの一種で、エジプト地方独特の方言である。アラビア語の文語であるフスハーに対する口語として利用されているが、諸方言が多く、それぞれの方言では意思疎通が難しいほど差がある。アーンミーヤの正書法は現在存在していないが、最も有力なエジプト方言を中心に規範化の動きがある。
エラトステネス/Eratosthenes <人物>
ヘレニズム時代のエジプトで活躍したギリシャ人の学者で数学と天文学の分野で後世に残る大きな業績を残したとされている。地球の大きさを人類史上初めて測定した人物として、また素数の判定法であるエラトステネスの節を発明したことで知られる。その業績から「第二のプラトン」とも呼ばれた。リビアに生まれてアテネで教育を受け、プトレマイオス朝がアレキサンドリアに建てた研究機関ムーセイオンの館長を務め、この地で没した。
エルサレム/Jerusalem <都市>
古くはカナンと呼ばれた地域で、イエス・キリストが教えを説き、処刑された土地でもある。またその前身となったユダヤ教にとっても重要な土地であり「約束の地」と呼ばれている。イスラム教ではムハンマド・イブン=アブドゥッラーフが一夜のうちにカアバ神殿から昇天して訪れた土地とされ、多くの宗教にとっての聖地とされている。 現在はイスラエルの首都として主張されている土地である。また東西に分ける事が出来、西部はイスラエルの実効支配地域であり、イスラエルの各省庁や近代建築物が建てられている新市街である。また東部はパレスチナも領有を主張している都市部であり、古代から受け継がれてきた町並みを今も残す旧市街となっている。東部には嘆きの壁や岩のドームなども残っており、長い歴史を物語っている。旧市街は1981年に世界遺産に登録された。
王家の谷/Valley of the Tombs <遺跡>
エジプトのテーベ西岸にある岩山の岩窟墳墓の事で、ツタンカーメンを初めとする様々な国王の墳墓が見つかっている。トトメス1世が始めてこの地に自らの王墓を作ったとされており、その後新王国時代のファラオは代々この地に自らの王墓を建設してきた。長い年月の中で、殆どの墓は盗掘され、副葬品、埋葬品がなくなってしまったが、ツタンカーメンの墓だけは盗掘を免れており、それらは現在エジプト考古学博物館にて展示されている。
オーデル・ナイセ線/Oder-Neisse Line <用語>
現在のドイツとポーランドの国境を定めている線で、オーデル川とその支流であるナイセ川によって構成されている。この国境は1945年のポツダム会談によって暫定的に定められたものであり、それ以前では700年近くこの国境全体がドイツの領土となっていたが、中世前半に遡るとこのオーデル・ナイセ線の付近が両国の国境となっていた。
オールド・カイロ/Old Cairo <都市>
カイロ市内の一地区で、古くからカイロを形成していた地域をさす。この地域はコプト教の教会が多数存在しており、イスラム都市カイロとはまた違った趣を持っている。
オシリス/Osiris <神>
エジプト神話における神で、イシス、セト、ネフティスと兄弟である。壁画などでは王冠をかぶり、体を包帯で巻いている姿で登場する。 エジプトの王として君臨し人々の支持を集めていたが、これを妬んだ弟のセトによって殺されナイル川に死体をバラバラにされて捨てられた。オシリスの妹であり妻でもあるイシスはこれを聞くとオシリスの死体を回収しミイラとして復活させ、冥界に君臨する王とした。復活したオシリスはセトによって奪われた王位を奪還し、自らの子であるホルスに継承させる事に成功した。
オスロ合意/Oslo accords <用語>
1993年にイスラエル政府とパレスチナ解放機構の間で、平和プロセスの一環として決められた協定。この合意にあたって、双方との友好関係の深いノルウェーが尽力したと言われている。公式には暫定自治原則合意と呼ばれる。しかし2006年のイスラエルによるガザ地区、レバノンへの侵攻によってこの協定は崩壊したと考えられている。
音と光のショー/A sound-and-light show <用語>
カルナック神殿で毎日行われているショーで、神殿やピラミッドがライトアップされ、荘厳な音楽を聴きながら歴史の解説、神殿の解説と共に遺跡を歩いて回るという趣向の物。スフィンクスの参道から聖なる池まで移動する間にショーが進む。日に3度上映しているが夏季と冬季によって上演時間が異なり、日毎に上映時の言語も異なっているためにホテルなどで確認することが必要。日本語でのショーもあるため出来るだけ利用したい。
オベリスク/Obelisk <遺物>
古代エジプトでの神殿などに建てられた記念碑の一種。ほとんどは一枚の花崗岩で作られており、四角柱状の形状の頂上に四角錐が付けられている。建設当時はこの四角錐の部分が金などで覆われており、光り輝く太陽の象徴とされていた。側面には王の記録や神々への賛辞などが刻まれている。 エジプトの歴史上様々な支配を経ていくうちに、戦利品として海外に持ち出されるなどしたため、多くはエジプト国内には残っておらず、海外にて見かけることが出来る。その最も有名なものの一つがサン・ピエトロ広場にあるオベリスクである。
オマーン国/Sultanate of Oman <国>
中東・西アジアに位置する国で、首都はマスカット。アラビア半島の東南端に位置しており、アラビア海に面する。アラブ首長国連邦、サウジアラビア、イエメンと国境を接している。石油輸送海路として有名なホルムズ海峡もオマーンの領海内である。河川がないため、オアシスを中心として農地を耕して生活しており、経済は原油と天然ガスの生産で賄われている。
オリュンポス12神/12 Olympus God <用語>
ギリシャ神話の中で、オリュンポス山の頂上に居住している12の神々の事を指し、天空神ゼウスを始めて男女6人ずつから構成されている。ゼウス、ヘラ、アテナ、アポロン、アフロディテ、アレス、アルテミス、デメテル、ヘパイストス、ヘルメス、ポセイドン、ヘスティアの12神から成り立っているが、たまにヘスティアが抜けてディオニュソスが入る事もある。冥界の王であるハデスとその妻であるペルセポネは基本的には外される事が一般的であるが、12神として数えられる事もあり、その場合はデメテルとポセイドンが抜けることが多い。 ローマ神話でも同じような12神が構成されており、ユピテルを初めとした12神が祭られている。しかしその内容は現代まで詳しく伝わっていないために想像の範疇を超えることが出来ないが、おそらくギリシャ神話の12神と相違ないという説が有力である。